2007年度 ソンクラ大学留学報告記

タイ便り

医学科6年 M.O

 こちらにきて二週間がたちました。この二週間は小児科病棟に行ってました。

朝7:30から夕方5:00位までです。PSUではラウンドを一日に3,4回、これを毎日しています。タイ語でされますが、レジデントの先生が英語で訳してくれ、分らない点は質問すると親切に教えてくださいます。13日からはこちらはソンクラーンといってお正月みたいなお祭り期間で17日まで学校も休みでしたので、私は山崎君とタイの学生で去年宮崎へきたびーちゃんの家へ遊びに行ってました。タイの生活を体感できる貴重な貴重な!!!経験をできました。トイレ。シャワー(お湯ではない)、洗面はすべて同じ溜め水を使うのが一般的だそうです。トイレでもテッシュペーパーは使いません。

毎日毎日タイ料理をエンジョイしています。スパイシーですが、とてもおいしいです。



タイ留学日記 (KIYOその1

医学科6年 K.K

 こんにちは、M6 K.Kです。

 私たちのタイ留学の現状報告をかねてメールを送ります。

 ただいま、予定の4週間の半分が終わったところです。当初は毎日日記のようにメールを送ろうと思っていたのですが、いろいろトラブルがありまして、初メールが2週間終わった時点のいうのはなんとも申し訳ないのですが、いままでの経過を簡単に述べてみたいと思います。

 現在の時刻は、4月16日22時27分。日本との時差は−2時間。気温は最高33度最低24度、天気は曇り時々雨。天候の関係もあり、非常に過ごしやすい日でした。ただ、湿度はかなり高いです。明日17日はタイの今の気候の典型といった感じで、天気は晴れ時々曇り、気温は最高36度最低23度と暑くなりそうです。

 事前にタイは暑いと聞かされていたのですが、暑いと感じたのははじめの1週間だけで、2週間も経つと、タイの気候に適した服を各自購入し、それなりのエアコンの効いた部屋に過ごす事が多いので、思ったよりは快適です。ただ病院は開放的な設計のため、風が強い日は風が吹き抜け体感温度はそれほど高くなく心地良いのですが、病棟やフードセンター、通路はエアコンがないため、未だに少し動いただけで汗が吹き出ます。でも、病院内は宮崎大学付属病院と比べても、部屋やクリニック(外来)の数も多く、付属の図書館やパソコンルーム、コンビニ(セブンイレブン)などが充実しています。大学施設も非常に広大で、池やスポーツ施設、マーケット、クリーニング屋、散髪屋、本屋などなど、生活には不自由しません。というか、実際にドクターやナース、その他大学関係者も大学敷地内で家族で生活しているため、大学の中だけで生活できます。さらに近くにはテスコ・ロータスという外資系の大型ショッピングセンターがたっているため、電化製品や食料品、衣類、さらには細かな生活必需品に至るまでなんでも揃います。去年タイから日本に留学していたビー(女の子)が、「Everything is in TESCO」というのも納得できます。TESCOの商品の充実っぷりは驚かされるものがありますが、今回は割愛してまた次回以降にタイのマーケットの現状を紹介したいと思います。

 先週末4月13日からタイ正月にあたるソンクラーンというお祭りがありました。もちろんタイにも1月1日に新年も迎えますが、あまり盛大な催し物はなく、町も2日からは通常営業らしいです。この4月13日からのソンクラーンの時期は日本の「お盆」といった感じに近く、仏教徒のモンク(僧侶)が町の広場や寺院でお祈りをしたり、人々がパレードをしたり、またほとんどの人が実家に帰ります。ただ、日本のお盆と違うのはソンクラーンが別名「水掛け祭り」といわれることです。この「水掛け祭り」ですがかなり危険です。ガイドブックによると毎年数千人がお祭り期間内に死んでます。なんせ、町中が軒先にポリバケツを出し、その中に水と氷、場合によっては香水のような良い香りのする液体やクーリングパウダーという日本で言うデオドラントパウダーのような白い粉を混ぜ、バケツやひしゃくでところかまわず通行人や道路を走っている車やバイクに水を浴びせかけます。とくにバイクは4人乗りやスピードオーバーは当たり前の国ですから、顔面目掛けてバケツで水を浴びせかけるとどれだけ危険かはすぐにお分かりいただけるとおもいますが、誰もやめません。子供も水鉄砲で病院内やショッピングセンター、ところかまわず放水します。テスコも商品がだいぶ濡れていました。はじめは若干ヒキますが、一線を越えるとタイ人や観光に来ている外国人と熱い戦いが楽しめます。ただ、はじめに行ったとおり非常に危ないです。私が一番面白かったのは、路上バトルです。タイの自動車は後ろに荷台のあるトラックのような車が多く、ソンクラーンの時期、その荷台にポリバケツと人間が10人くらい乗っかって、走りながら放水しています。そこまでは軒先対車なので、ある程度収集がつくのですが、その車同士が道路上、しかも走行中に鉢合わせすると大変なことになっています。なにしろ同じスピードで同じ方向に走っているのですから収集はつきません。さらにスピードは80キロくらい出てますので、危険極まりない路上バトルの開始です。たまに、水だけではなく、溶けた氷の破片が飛んでくるため、運悪く当たったら死ぬかもしれません。それでも誰もやめません。

 私たちはこのソンクラーンの時期にタイに来られて、このようなお祭りに参加できたのは本当にラッキーと思います。日本でも失われた近所や見知らぬ人々との交流がこの祭りには残っていました。

 ソンクラーンの時期、私たちはそれぞれ分かれてタイの各地を楽しみました。バンコクに行った人、ハジャイに残って地元の人と交流を持った人などです。私の場合は日本人は私一人で同じくソンクラ大学に留学していた2人の台湾人医学生と一緒にサムイ島という、島に旅行に行きました。台湾人医学生2人について少し述べさせていただくと、名前は「トゥー(ドゥー?)」と「ノビタ」です。ノビタは、そうドラえもんののび太ですね。台湾でも人気らしく、外形も似ているためニックネームにしているようです。「トュー(ドゥー?)」は母国語の中国語のほかに英語、そして両親がタイ人らしくタイ語も話せるため地元の人と話せるため幾度となく助けられました。「ノビタ」もドラえもんの中ののび太とはちがい、中国語・英語も流暢に話し、医学知識も国際レベル、スポーツも万能?とはいえないまでもかなりアクティブに動きます。

 サムイ島の話は面白く、かなり長くなりそうなので、次回報告します。勉強のことも次回報告します。




タイ留学日記 (KIYO

その2 医学科6年 K.K

 2007/04/21(土)

今日はSichonから大学に戻ってきました。Sichon Hospitalは約120床のLocal hospitalで、内科・外科・整形外科・小児科・産科・婦人科・Family Medicine・ERなどがあります。設備は日本の病院を見慣れている私たちからみればギョっとするところもありますが、CTやX線、薬剤、手術室などの設備も一通り揃っていて、Sichon地方における基地病院といった感じでした。私たちのお世話を主にしてくれたのは、Dr. Ekarat先生で、非常に素朴で親しみやすいFamily Medicineの先生でした。Family Medicineというのは、日本ではあまり聞きなれない言葉ですが、主に地方の診療所をまわり、診療・診察・薬の処方を行うGeneralな診療科です。時には病院にこれない患者さんを訪問し、患者への治療や投薬、家族への心理的サポート、そして公衆衛生指導をしたりと、いろいろと忙しい診療科でもあります。今回、私たちは、3人ずつ2つのグループにわかれ、外科/整形外科、手術室/分娩室、ER、そしてFamily Medicine/Home Visiting、Holistic Medicine(Thai Massage)などを体験しました。それぞれにドクターやレジデントがついてくれて、地域病院における役割や実際の診療、手術、ERにおけるPrimary careなどをさせていただきました。それぞれの診療科の詳しい内容に関しては他の人に説明を譲るとして、タイの病院と日本の病院の違い、それと個人的に印象的だった診療科の実習について簡単に述べたいと思います。

 タイの病院は基本的に誰でも受診できるようで、ドクターによると一回20B(バーツ:タイの通貨→1B=約3.4円)、心臓のバイパス手術でも、虫垂炎の手術でも20Bです。大体タイの一回の食事が20〜30Bなので、誰でも受診できます。ドクターはこの病院には10人しかいないので、非常に忙しそうでした。だた気になったのは、小児科の病棟の中を猫や犬が歩いていました。ほほえましい光景でしたが、日本ではまず見ないと思います。あと、日本にはいたるところに設置してある手洗いの消毒ボトルがまったくといっていいほど見かけませんでした。多分ドクターやナースも手洗いはあまりしていません。病棟も男女一緒になっていたり、仕切りもカーテンもなく、大きな一部屋に30人分のベッドが並んでいるという感じです。もちろんエアコンはありません。だいぶ暑いです。ただ扇風機が遠くで回っていました。ベッドも飽和状態で、廊下のいたるところで患者が寝ていました。

 火曜日に私たちのグループは手術室/分娩室を見学しました。手術室はそれなりに日本と同じ感じでした。ただ麻酔専門のナースが麻酔を行っている点と、手術室にいた外科医の女医さんの手術スピードの早いことには驚かされました。子宮摘出手術は開始30分程度で終わりました。最後の縫合も相当な早さでおわり、最後に一言「私昼ごはん食べてないの。」といって、さっと出て行ってしまいました。

 水曜日にはDr. Ekarat先生とFamily Medicineについて午前中に講義を受け、その後地方の診療所に車で出かけました。まさに田舎の診療所といった感じの典型的な診療所で、先生は絶えることなく訪れる外来患者さんを、問診しつつ、診察し薬を処方していました。不安神経症の老女から、30分前に犬に足を噛まれた子供まで、非常にさまざまな患者がいました。その後、お昼ご飯をドクターの家でご馳走になり、午後からはHome Visitingでした。このHome Visitingは名前のとおり、病院に来ることのできない、自宅介護の患者さんを医者が訪問し、診療するといったもので、日本でも一部しか行われていませんが、タイではかなりメジャーなようです。一軒目は、80歳代の老女で、加齢性の脳萎縮があり、結核の既往もあり現在治療中とのことでした。言葉はほとんど話せず、家族がNGチューブ(経鼻栄養チューブ)で食事を与えている様子でした。ドクターは患者の全身状態のチェックと家族へのサポート、栄養指導などを行い、家を後にしました。二軒目の患者は、20歳代の若者で、その患者が14歳のころバイクで二人乗りをしていて、本人は後ろに乗っていたようで、そのまま事故って、脊髄損傷になったケースでした。患者は全く声も出せず、手足は筋萎縮と関節の拘縮が激しく、結膜充血(結膜炎)もあり、あまりにも事故の後遺症が激しいため、私たちは絶句しただ患者の横たわっている姿を呆然と見守るだけしかできませんでした。このタイのバイク事故、相当多いようで、どこの病棟を回っても、カルテにMCAという記載を見ることが非常に多いです。特に外科の男性病棟では、2〜3人に1人はMCAです。このMCAですが、初めてタイのPSU (Prince of Songkla University) に来た時も、病棟にたくさんMCAの患者さんがいて、なんの病気の略だっけと思い電子辞書を引きましたが、なかったのを覚えています。それもそのはず、MCAとはMotor-Cycle Accidentの略です。日本だったら多分「交通事故による損傷」とでもなるはずが、タイではひとつの病名として十分まかりとおっています。それくらいバイク事故が多いです。そもそもバイクが多いのと、スピード無視は当たり前、常時80km/hくらい出していますし、家族4人乗りもどうやって乗ってんのっていうくらい子供がお父さんの足の間に挟まっています。まさに芸術的な乗りこなしといったところです。さらに4人乗りの二人目以降はノーヘル(ノーヘルメット)は当たり前、このケースもそうですが、法律では18歳からとなっているライセンスも無視して、小学生以下の子供もみんなバイクに乗っています。交通マナーも悪く、信号機の赤で車が止まっていると、みんな先頭に出てきて信号が青になると同時に一斉に右折や前進を行います。その上飲酒運転が拍車をかけます。見ているだけでも日本とは比べ物にならないくらい危ないです。警察もあまり取り締まっていないようです。病棟でもMCAで下肢や上肢を失ったケースや骨に達するまでSlide(Slip injury)を受けたケースを本当によく目にします。このタイの現状をみるとバイクに乗るのが怖くなりました。

 この他にも紙面では書き表せないくらいの体験がSichonでの一週間の中にありました。いろいろな先生との出会いや別れ、リゾート(?)でのバカンス、公務でいらした丸山先生との触れ合い、ナイトマーケットでの虫のから揚げの試食(私だけ?)、浜でのミニ別荘でみんなと一緒にした食事、最後のFarewell Partyでの記念品をもらったこと、本当に様々なイベントが怒涛のように行われた一週間でした。本当に、Sichonの先生やスタッフの方は温かくて面白くて、やさしくて、そしてどことなく素朴で…。今日、そんな先生方やスタッフの方々とお別れするのが本当に寂しくいとおしく感じる、そんな一週間の最後の日でした。

 明日は、Dr. Vichai先生が世界一おいしいレストランで食事をおごってくださるとのことですので、それに期待して今日は寝ることにします。

 次回は、Dr. Vichai先生の食事のことと、タイのマーケット事情について述べて考察してみたいと思います。



医学科6年 M.S

 M.Sです。

 EMP報告遅くなりました。

 私は1週目はER(救急)で実習をしました。最も世話をしてくれたのは、昨年交換留学生として宮崎に来ていたJame君です。そして、何人かのレジデント(3、4、5年目が中心)の方々のカンファレンスにも参加させて頂き、その後の診療中にもいろいろなことを教わりました。実習中に私が実際に行った手技は、消毒、胃洗浄、縫合、心肺蘇生血圧測定、身体診察などです。

 3週目はナーコンシータマラートという町の市中病院での実習でした。そこでは、大学病院とは違って、プライマリーケアや往診、手術見学などをしました。スタッフの方々は医師だけでなく、看護師や理学療法士のかたもみんなよくしていただきました。(英語はかなり高レベルなかたから、ほとんど話せない方まで様々ですが)

 病院実習以外の生活面でも、事前に知ることができたらよかったと思うこと数多くあるので、後輩のためにもしっかりした報告書を作ろうと思います。

では




タイ留学日記 (KIYOその3

医学科6年 K.K

 レポート送ります。今週で留学も終わり、今週末から翌週頭にかけて日本に向けて帰省する予定です。私を除いてみんな元気でやっているようです。私は少し風邪をひいていしまいました。今日はデング熱のシビアなケースの患者のそばにずっといたのでデング熱ウイルスに感染していないか心配です。以下、レポートです。

2007/04/22

昨日までのSichonでの病院実習を終え、Songkhlaに戻ってきた次の日、お昼をTescoのケンタッキーフライドチキンで軽くすませ、ドミトリー(寮)で迎えの車を待っているとDr. YUNGとパオパオ(タイの学生:女性)が午後2時すぎに迎えに来てくれました。食事の前にサミラビーチをいうソンクラにある、リゾート地に向かいました。Vichai先生はサミラビーチのすぐそばにある高級リゾートホテルの2室を借りてくださっており、男子と女子が2つに別れて着替えを済ませた後、サミラビーチで海水浴を楽しみました。Vichai先生は、「だいぶ日も暮れたから、そんなに暑くないよ」っとおっしゃっていたのですが、まだ午後3時すぎ、ジリジリと肌を焼くような強烈な日差しが照りつけます。海水の水温もお風呂のぬるま湯くらいの温かさ。2人の女の子は日焼けを気にして、ホテルのプールへ。男性陣2人と残りの2人の女の子、そしてVichai先生は、浜辺を少し歩いてVichai先生のお勧めスポットへ。このサミラビーチは大部分が遠浅で、波打ち際から30mほど沖に出ても足がつきます。透明度も良好で、波もそれほど高くなく、気になるクラゲもおらず、絶好の遊泳スポットでした。1時間半くらい遊泳を楽しんだあと、他の女の子の待つホテルのプールへ。ホテルのプールは日陰になっており、適度に涼しい感じ。いろいろと楽しんだ後、ホテルで着替えを済ませて、Vichai先生の用意してくださった「世界で一番おいしいレストラン」へ。そのレストランはホテルから30分程度郊外に行ったところにあるソンクラのなかでも古い趣の建物の並ぶストリート、標識には「Old City」とありました。どちらかというとタイのストリートのイメージというよりは、古い中華街といった感じでコンクリート造りの食堂やお菓子屋が並びます。その中にある、タイ料理レストランに着きました。私たちは途中寄り道をしていたので、Vichai先生と他のメンバーはすでに食事を始めており、私たちもすぐに席に着きました。いつものように銀色の大きなポットからご飯を給仕してもらい、テーブルには大皿で8皿ほど料理が並んでいました。定番のトム・ヤン・クンやパパイヤのサラダから、見たことの無い魚のから揚げ、ニラをスープと一緒に炒めたもの、などなどどちらかというとタイの家庭料理といった感じのメニューです。どれもあまり辛くなく、香草やニンニクも適度に効いていて食欲をそそります。

 タイの料理はあまり辛くないというのが、私としては重要で、タイに来て2日目に、スープにまぎれて入っていた小ぶりの緑色のチリ・ペッパーを食べたときから辛いものはトラウマになっていました。タイの料理は大体は辛いのですが、その辛いにも様々なグレードがあり、日本人が普段「辛い」というレベルはこちらの人の「全然辛く無い、物足りない」程度のレベルで、タイの人が「適度に辛い」というのは日本人の「汗が出るほどの辛さ」です。私のトラウマになった青いチリ・ペッパーはタイ人も「これは普通食べないんだよ。」と言ってとり皿にもよそわないほどの辛さ、日本人的には「辛いというより痛いです」。食べたとたんに、こんなところに汗腺があったの?というくらい体中の汗腺から瞬時に汗が吹き出ます。その痛さも1時間くらい続きます。この青いチリ・ペッパー、丸ごと入っている場合は2度目から大体見当がつくので避けることができますが、サラダなどにも丁寧に細かく刻んで入っているので、食べるまでまず気づきません。私たちもSichonのホテルのレストランで丸山先生を囲んでの食事をしたときもこのチリ・ペッパーがサラダに入っていて、この話題で盛り上がりました。ちなみの唐辛子はタイ語でプリック(phrik)と発音します。基本的に小さい種類ほど辛く、その代表格がこのプリック・キィー・ヌー(鼠の糞の唐辛子)と呼ばれるものです。

 話が脱線したのでもとに戻ります。食事を終え、Vichai先生もご機嫌なご様子で、その後向かいの伝統的タイお菓子屋さんへ。いわゆる駄菓子がいろいろと並んでいました。その後タイの伝統的な玩具などを見た後、大学へ戻りました。はじめは、どれだけ高級なレストランに連れて行ってくれるんだろうと予想していたのですが、Vichai先生が連れて行ってくれた「世界でいちばんおいしいレストラン」は、タイの古い町並みの残る小さな、そして家庭的で温かい雰囲気の残るレストランでした。

2007/04/24

 今週からまたまた私は小児科で実習です。ちなみに配属は私とH.Yさん、M.Yさんは小児科、M.OさんとM.Sさん、M.Oさんは内科の感染症です。なんでまた小児科?って感じでしたが、Vichai先生も優しいし、先生をはじめレジデントや学生の皆さんもいろいろと教えてくださるので、それなりに充実した実習が出来ています。私の場合、小児科の感染症を希望していて、熱帯特有の感染症、具体的にはマラリアやデング熱、HIV感染症などを期待していたのですが、今の時期が乾季というのもあって、蚊の媒介するデング熱患者はほとんどおらず、感染症の病棟も白血病患者や心奇形患者、はたまた毒蛇咬傷(Snake Bite)などなど様々。なんで感染症なのに感染症以外の患者さんがいるんですかと先生に聞いたら、「他の病棟がいっぱいだからね」とのこと。あまり病棟に区分はないようです。ただ、感染症以外にもタイでは様々な疾患が見れて本当に興味深いです。たとえば、Snake Biteにしてもコブラによる咬傷ですので、咬まれた子供の手も、尋常じゃないくらい肩から腫れ上がっています。噛まれた箇所(中指)は紫色に変色し腐食が激しいようです。どうやらタイでは田舎に行くと庭にもコブラが出るようで、結構な数、患者がいるそうです。蛇の毒は実は組成が複雑で、あまり解明されていません。コブラの持っている毒素は神経毒ですので最悪の場合、ショックに陥るか、呼吸筋が麻痺して呼吸不全で死亡することもあるらしいです。こんなケースを見るとMCA(モーターサイクルアクシデント)のときも道路のバイクが気になったのと同様、今回は自然と学校からの帰路も足元の草むらばかりが気になります。他にも白血病やサラセミア(血液の遺伝疾患)はタイではメジャーなものから、なぜかそれほどメジャーではないHistiocytosis XやTB meningitis(結核性髄膜炎)なども結構な数、病棟にいます。この病院に来た当初から気になっていたのですが、なんで同じ病棟(個室では無い、大きな部屋に30人以上のベッドがあるだけ、ナースステーションはその部屋の真ん中)に白血病とTB meningitis、さらにはMRSA感染症がいるのかが不思議でした。とくに白血病の治療でインダクションを行っているケースでは、血液中の白血球は0(ゼロ)。完全なcompromised hostです。多分この時期に感染を起こすと間違いなく死にます。ですがタイの病院ではみんな、仲良く同じ部屋でお隣どおし楽しく会話しています。日本人の医学生から見ると、間違いなく病院としてはありえない状況ですが、どうやらタイでは普通のようです。Sichonにいったときも病院の病棟内を猫がごろついていました。小児科病棟内で子供が猫を追いかける光景はなんとも和む光景ですが、日本ではまずお目にかかれる光景ではありません。Sichonの先生も猫を追い出す様子はありませんでした。というか猫もかなりくつろいでいました。もちろん、小児科実習初日に、この状況をみて「白血病患者は日本ではクリーンルームに収容しています。」とか「TB meningitisは隔離したほうがいいような気がするのですが」とか、「MRSA患者がいるのですがComprpmised hostがいる病棟とは隔離したほうがいいと思います」という質問はもちろんしました。が、白血病患者が感染症病棟にいる理由は、「上の階のPrivate Ward(個室)がいっぱいだから」、「TB Meningitis患者は咳をしていないから感染しない。」「MRSA患者は、多分大丈夫かと」といった感じでした。むしろ個室に分かれている日本の病院システムがタイとしては珍しい様子でした。国が変わればこれほどまでも衛生対策に差があるとは、非常に驚きました。誤解の無いように補足しておきますが、もちろん病院の衛生対策が全くなされていないわけではなく、意識の差はあるにせよ、それなりの状況による対策はあるようでした。丸山先生がおっしゃるには、「昔の日本の医療も似たようなものだったよ。」とのこと。今後、タイの衛生対策も急激に向上していくことでしょう。私としてはタイの病院の環境整備は小児科の病棟にエアコンを入れることからはじめて欲しいと切実に思う小児科実習でした。毎日相当熱いです。

番外編 〜サムイ島小旅行編〜

2007/04/14〜2007/04/16

ソンクラーン祭りの時期に私は台湾の医学生2人と一緒にタイのほぼ中央に位置するサムイ島に小旅行に行きました。このサムイ島、タイ湾に浮かぶ国内で3番目に大きな島。昔はバックパッカーの憧れの地でしたが、最近では空港も整備されプーケットと並ぶリゾート地となりました。ハジャイからバスとフェリーと乗り継いで約8時間。めちゃくちゃ遠いです。バスも外人だらけで、ぎゅうぎゅうで、マジでDVT(deep vein thrombosis:深部静脈血栓症)で死ぬかと思いました。サムイ島のメインは島の東側にある、チャウエン・ビーチ(Haat Chaweng)とラマイ・ビーチ(Haat Lamai)です。そもそも私がこのサムイ島に来たのはVichai先生の強い勧めがあったからです。Vichai先生は開発の進みすぎたプーケットよりもまだまだ自然の残るサムイ島がお好きのようです。

 初日は、ラマイ・ビーチから20歩のコテージの様なホテルの一室を借りて、ドライブと海水浴を楽しみました。このサムイ島、外国人の数がものすごいです。場所によってはタイ人より外国人のほうが多いです。このサムイ島、世界的には結構、名の知られた高級リゾート地で、特にチャウエン・ビーチ周辺のストリートは高級ホテルが広がり、一番安い部屋でも250ドル以上します。さらに高級スパや高級レストラン(日本食、タイ食、中華、イタ飯、フラ飯などなど)、高級ブランドショップ(アルマーニ・グッチ・プラダ・ベルサーチ)が立ち並び、一種の独特な雰囲気があるストリートを形作っています。物価もハジャイの5倍〜10倍といったところでしょうか。ご飯を食べると夕食だと一人500B〜800B程度かかります。まあ、それでも日本で高級レストランにいくよりはだいぶリーズナブルです。交通もソウテウと呼ばれる巡回タクシーのような乗り物に行き先をいえば、どこへでも連れて行ってくれます。

 サムイ島では、真夜中に一人ストリートを彷徨ったり、ツアーでさらに離れたサンゴ礁で出来た島でシュノーケリングを楽しんだり、ジャングルで食事をしたりといろいろな体験が出来ましたが、それをこまごまと書くと、今回の自習の趣旨と異なるため割愛させていただきます。3日間の滞在を終え、また片道8時間のバスとフェリーに揺られながら、DVTに怯えながらヘトヘトになりながらハジャイに戻りました。興味のある方は一度サムイ島に足を運んでみてください。

補足) サムイ島で一番心残りだったのは、サムイ・ロブスターが食べれなかったことです。店先の氷の詰まった箱の上においてあるロブスターを注文すると目の前で焼いてくれます。価格は100グラムあたり200B程度(一匹約2000B程度)で、かなり大きいです。一度味わってみてはいかがでしょうか?

2007/04/24

今回はタイのマーケット事情について述べたいと思います。タイのマーケットといっても様々で、町のレストランや雑貨屋から、ダウンタウンの高級品、Tescoやカルフール(Carrefour)[サイト:http://www.carrefour.co.jp/(注:日本店舗)]のような外資系の大型ショッピングセンター、ナイトマーケットのようないわゆる屋台まで実に多種多様。気になる物価は私の事前の調べでは日本の1/4〜1/6とインターネットサイトにはあったのですが、予想以上に地域や商品によって大きな差があるようです。基本となるコンビニでは、500ml入りのペットボトルジュースは16〜20B程度、ポテトチップスは日本の標準的な大きさのもので20B程度、チョコレートは少し高めで小ぶりのものが20B程度、アイスも12〜20B程度といったところでしょうか。水はコンビニにいろいろな種類があり、安いものでは500ml程度で6B、ちょっと高級な水は9B程度です。いまいち水の普通と高級の違いがわかりませんが、タイの学生曰く、「6Bの水はきれいな水」、「9Bのやつはよりきれいな水」らしいです。ん〜?わかったようなわからないような。結局のところどれも安全なようです。あと、ナンプラーは魚油、ナンプラーオは水です。非常によく似ていますが、レストランなどで水が欲しいときに日本人的発音でナンプラーオといってもちゃんと水が出てきますので問題ないです。ただ、それ以外の言葉に関してはタイ語には5つのトーンがあるため、それらを区別するのはなかなか難しいです。特に人の名前は日本人には区別するのは不可能で、「YING」という女性ドクターの名前を聞いたときも、名前を何回言っても「違う」といわれてしまい、最後は「イン」といってくれれば大丈夫だからと言われてしまいました。どうやら口を少し開いて発音する「イ」ではなくて、さらに口を横に開いて発音する「ゥイ」のようですが、理屈はわかっても発音はまず無理です。さらに台湾人医学生(台湾は中国語)の「TU」君の名前も普通に口を突き出す「TO」の発音では全く違うらしく、さらに口を突き出して発音する「TU」のようです。どの国も発音は難しいのだなと痛感しました。たぶん日本語の発音が抑揚やトーンも簡易で、一番単純な気がします。

 肝心のタイ物価ですが、タイの物価は日本と比べて大部分が安いです。特に安いものとしては、日常の食事、大体タイ人の感覚としては一食30B程度らしいです。ただ日本人的には1食では少し量が少ない気が…。男性の方は2食分頼めば十分な感じです。ただ、ケンタッキーやミスド、マックなどはやや高め、日本の半額くらいです。日本には無いメニューも多く、特にマックの「SAMURAI PORK BURGER」はちょっと気になりました。多分テリヤキバーガーだと思いますが。あとマック店頭のドナルドはワイ(胸の前で手を合わせるタイ独特の挨拶のポーズ)をしているのが特徴です。他に食料品一般、野菜やフルーツも激安です。ほとんどのものが1kg単位で購入します。参考としてマンゴスチンは1kg=30〜50B程度。日本だと一個200〜300円。ただ、日本と同じくらいかやや高いものとして、ビールなどのアルコール飲料(350mlで1缶30B)、日本やアメリカなどの電化製品などなどです。例外として携帯は逆に日本が世界標準より高すぎるため、タイでは安く感じます。みんなプリペイド携帯を現地で購入しました。安く買えば本体+SIMカードで1500B程度から。ただし高級品は軽く10000B以上します。本体を買えばタイ国内で通話料金はほとんど気にならないくらいの料金でかけられます。驚くことに性能も日本の携帯よりもいいものがあります。特に機能の拡張性に関しては日本の携帯は制限が多いのに対して、タイの携帯は制限が非常に少なくPCのように音楽を入れたり、動画を見たりが非常に簡単に出来るようです。

 タイのダウンタウンの大型デパートの周りには雑多な商店が軒を連ねています。売られているものはほとんどがコピー製品といった感じで、コピーCDからコピーDVDといったいわゆる音楽の海賊版やコピーブランド品などです。価格はCDが一枚70Bで、店前にあるCDのラベルだけをファイルしたもののなかから欲しいCDを頼むと5分くらいで焼きあがります。PSやPS2といったゲームの海賊版も充実しており、こちらは一枚50B、なぜか音楽CDより安いです。もちろんオリジナルのDVDらしきものも売ってはいるんですが、「スタジオジブリ」の有名映画詰め合わせDVDセットも、表記が「スタジオシブリ」となっていたりと明らかに海賊盤でした。まあ、高品質なオリジナルを買う人はこんなところでは買わないと思います。ただ、商品の充実振りは日本以上で、ちゃんとPS3もWiiも発見しました。オリジナルは日本以上に高く、タイの学生がWiiを買いたくて交渉していましたが、結局一台50000円(日本の倍)よりは安くならないといわれ、「クレイジープライスだわ〜」といってあきらめていました。価格は交渉制で、値札は無いものが多く、はじめは外国人には倍以上の値段を吹っかけてくるので、市場価格に詳しいひと意外は案外安く買うのは難しいかもしれません。私たちもタイ人の学生に言葉をサポートしてもらって購入しました。前にも書きましたが、生活用品はすべて大学近くのTESCOで揃うので、特に問題ありませんでした。それほどTESCOはすごいです。TESCOに無いものはタイの学生に買いたいを頼むと、バイクか車でダウンタウンまで連れて行ってくれます。自分でトゥクトゥク(乗りあいタクシー)で行くことも出来ます(一回20B)。

 タイでは実に様々なものが購入できますので、普通に眺めているだけでも楽しいです。基本的に外国製品やブランド物は高いので、タイ製品を中心に購入したほうが賢明です。ひとつ問題は、ラベルに英語の表記が無いものが多いこと。特に洗剤やシャンプーといった生活用品はラベルの写真で判断しましょう。大体は問題なく購入できます。タイのマーケット事情はこんな感じです。残念ながら細かいところまでは説明しづらいので、実際にタイに行った学生に聞いてみてください。



タイ・クリニカルクラークシップレポート

医学科6年 M.O

私は最初の2週間は小児科(private ward)、第3週目はcommunity hospital、第4週目は感染症内科で研修をしました。そしてその間に救急ERでも二日間実習させていただきました。

小児科ではタイの6年生が回診やカンファレンスでタイ語を英訳してくれたり、空いた時間には二人で、お互い持っている医学知識を教えあったり学生生活や将来の夢などを話すことが出来、有意義に過すことができました。private wardということもあって一人ひとりの患者さんに毎日ゆっくりと時間をかけ、患者さんである子供に対してもそのご両親に対してもリラックスした雰囲気で話されていたのが印象的でした。偶然その時期にprivate wardに勤務していた医師が全員女性だったのも私には見慣れない光景だったし、どの科でも日本に比べて女性の医師が多く居て、結婚出産後も働く、働けるのが当たり前な社会のように感じました。日本では女性医師の早期リタイアが問題になっていて、それについて女性医師やそういう妻をもつ男性医師と話をしたり、タイ人医師の子育ての状況や彼らのライフスタイルを聞くことができて良かったです。

3週目のナコンシタマラートでのcommunity hospitalでは、family medicineという日本には該当するものがなく、地域医療に近いものですが、それを見学しました。家族ごとにカルテが一つのファイルにまとめられていて、生まれた時から死ぬ時まで、プライマリケアをfamily doctorが診ます。往診も行い、在宅で最期を迎えることもサポートしています。

4週目の感染症内科では色々な科からコンサルトの依頼のあった患者さんを感染症科の医師が、例えば発熱の原因を調べ熱が下がるまで担当医と平行してその患者さんを診ます。主に術後の感染症が多い印象を受けました。日本よりも術後感染が多く感じましたが、その理由は分かりません。

ERでは、初めて心マッサージをさせて頂きました。残念ながらその患者さんはお亡くなりになられましたがタイという国で、国を超えて人生の最期の時を家族の方々と沢山のタイの医療スタッフと過ごすという機会があったことは、とても大きな経験でした。

タイでも自分と同じような夢をもった学生が一生懸命勉強していて、多くの医療スタッフが共に毎日病院で働いているというグローバルな視点を実感できたことが、私には貴重な経験でした。

タイ実習をサポートしてくださった宮崎大学、プリンス・オブ・ソンクラ大学の先生方、スタッフの皆さん、タイの友人に感謝し、今後もこの実習が続いて、沢山の後輩達が経験できることを希望します。



ソンクラ大学留学 最終報告書 タイトル:『ソンクラ大学留学を振り返って』

医学科6年 K.K

 今回、宮崎大学でのクリニカルクラークシップの一環としてEMP(English for Medical Purposes)のプログラムのもと、2007年3月末から4月末にかけてのおよそ一か月間、タイの南部、ソンクラにあるハジャイ(ハート・ヤイ)のプリンス・オブ・ソンクラ大学医学部に留学しました。今回のこのプログラムで留学した六年生は、私を含めて6人(男2名、女4名)です。

 自分にとって、これがはじめての海外留学で、やはり出発前は語学に関する不安はもちろん、医学教育システムの違いに対する不安、タイの学生と協調性を持って接することができるかという不安、さらに、タイという見知らぬ国で独り生活することが出来るか、そういった不安を抱いていました。しかし、英語科の先生方やこの留学プログラムにご尽力いただいた先生方に、留学に関するアドバイスや現地での生活に関するアドバイスを頂くことが出来、そういった不安は杞憂なこととなり、タイという国で、現地の医学生と一緒に勉強し、文化や触れ合うことが出来るというという期待感に胸を膨らませ、私たちは日本を出発しました。

 まず、日本の福岡空港を出発し、タイの首都バンコクにあるスワンアプーム国際空港に到着しました。このスワンアプーム国際空港は、バンコク中心部より東へ約30kmに位置し、アジアのハブを目指すタイの新時代の象徴として進められた国家プロジェクトとして2006年9月28日にバンコクの窓口として新しく開港した空港です。旅客ターミナルビルの総床面積563,000?は世界一の広さを誇っており、これは成田国際空港の約3倍の広さに当たります。空港内は最近の世界的なタイ旅行ブームもあり、日本をはじめ、欧米やアジア系の家族づれの旅行客が溢れかえっていました。入国審査と外貨両替を済ませ、旅行会社の用意したバンに乗り込みました。

車の窓から見渡すと、郊外から市街に向かう高速道路が縦横無尽に整備されバンコクの市街地や郊外には旅行者向けの高級ホテルや大規模工場、外資系のショッピングセンターやコンビニエンスストアなどが、急激な近代化を遂げているタイを象徴するかのようでした。

今回、日程上目的地のハジャイまでの当日中の飛行機の乗り継ぎが出来なかったこともあり、まずは、市内のホテルで一泊し、翌日バンコク中心部から北方約20kmドンムアン区にあるドンムアン空港に向かいました。今回、2007年3月25日より、主に国内線をメインとするドンムアン空港が再開港されていたため、このドンムアン空港からハジャイ空港に向かうことになりました。ドンムアン空港からハジャイ空港までは数時間のフライトで、目的地のハジャイ市にあるハジャイ空港に到着しました。ハジャイ空港は、まさに田舎の空港といった感じの小規模空港でした。空港の外には出発前に連絡を取っていた、昨年宮崎大学に交換留学に来ていたソンクラ大学のジェイムとパオパオの二人が迎えに来てくれていました。久々の再開であったため、簡単なあいさつを交わした後に大学側が用意してくれたバンに乗り込み、大学を目指しました。

 このハジャイはタイ南部の中心的都市であり、小バンコクと呼ばれることもある工業都市です。ダウンタウンには大きなデパートや外資系のスーパーが立ち並び、人々や車、バイクがところ狭ましと行きかう光景が見られました。大学に着いた私たちは簡単に大学敷地内を案内してもらいました。ソンクラ大学は医学部をはじめ、看護学部、歯学部、科学部、文学部、農学部などなど、理系文系学部の揃った総合大学です。それぞれの学部の校舎の他、事務系のビルやホール、図書館、他にも学生や大学関係者の宿舎があり、生活面での施設や店舗も充実していて、コンビニエンスストアやランドリー、屋台等なども大学敷地内にあります。大学の敷地は非常に広大で、農学部所有の見渡す限りの畑や、周囲がランニングコースになっている池、それを見下ろす丘がありました。もちろん、大学内の移動もバイクや車が使われることが多かったです。敷地内は、大学関係者の生活の場でもあるため、朝は、出勤風景が見られたり、夕方には子供たちが体操をしたり国家や民謡を歌ったり、夜は屋台で家族が食事をしている光景が見られたりと、非常にゆったりとした時間が流れていました。日本の大学とは大きく異なった印象を受けました。

私たちは、一度事務の方で簡単な説明を受けた後に、ドミトリー(寮)に案内されました。ドミトリーは男2人で一部屋、女4人で一部屋となっており、それぞれ別の棟にありました。内装はまさに学生用の寮といった感じで、クーラーやベッド、冷蔵庫、テレビ、ソファ、テーブル、台所、水洗トイレ、シャワーなど生活に必要なものは一通り揃っていました。ただ、少し気になったのは、シャワーのお湯が出なかったことです。これは壊れているのか、それとももともと行水しかできないのか不明でしたが、現地の学生に聞いても、「お湯とか出る必要ある?外は40℃位あるし、お湯出ても要らないでしょ?」と冗談なのか本気なのか未だによくわからない説明をされ、その時は変に納得してしまいました。ただ、後日女性のドミトリーにはお湯の出るシャワーがあったことを考えると、あれはやっぱり壊れていたんだなと思います。確かに、冷蔵庫も終日、あり得ないくらい「ガタガタガタガタ」と震えていたのを考えると、電化製品の調子は全体的に調子が悪かったです。それでも、一か月特に困ることもなく生活できました。

 留学のスケジュールですが、4週間のうち、1週目と2週目は大学病院で実習を行い、3週明はハジャイから北へ向かったシチョン(Sichon)にある病院で自習を行いました。4週目はまた大学に戻ってきて実習を行うというものでした。シチョンでの実習は病院側の担当の方が予定を組んでいただいていたため、全員がそれぞれの内科や外科や救急をローテーションで回るというものですが、大学病院での実習はそれぞれが行きたい診療科を選ぶことができました。今回、私は小児科を選びました。その理由は、小児科だとタイと日本の医療システムや公衆衛生の違いが如実に比較できることと、小児なのでよりピュアな疾患が見られるということ、かねてから熱帯感染症に興味があったためそのような日本では見られない感染症が見られること、さらに今回私たちの世話をしてくださっていたフィーシャイ(Prof. Vichai)教授がいらっしゃったこともあり小児科を選択しました。しかし、選択で小児科を選んだといっても、実際には、他の科の回診があったりや、患者さんの症状によっては他の科のコンサルトを受けたりするため、診療科間の垣根は低い印象でした。また、途中で選択する予定の診療科を変更することもできたため、自分の実習したい診療科が見学できました。

 小児科には、私たち日本人の留学生のほかにも、アメリカの軍医の留学生と、台湾からの留学生2人が一緒に勉強していました。タイ人の学生や先生をはじめ、留学生もみんな親しみやすい方ばかりで、回診の時も患者さんの入院の経緯や経過、症状や検査所見、鑑別診断の仕方や治療などを丁寧に説明してくれました。

 ここでタイの小児科で実習をしていて感じたことを述べたいと思います。小児科の患者さんは、基本的には小児呼吸器疾患、小児感染症疾患、小児循環器疾患、小児血液疾患、小児神経疾患、小児代謝疾患など多岐に渡りますが、今回の病棟にいる患者さんの年齢は、生まれて数か月の新生児から乳幼児・学童期前後の子供が主でした。別に新生児集中治療室、いわゆるNICU(neonatal intensive care unit)やGCU (新生児後方病室)などもあり、小児科・産婦人科関連施設は充実していました。

一日のスケジュールは、午前中に小児科のモーニングラウンド(朝の回診)、カンファレンス、勉強会があり、昼食を挟んで、午後に他科のラウンド(回診)やジャーナルクラブ(医学雑誌の抄読会)・留学生向けの授業や実習がありました。授業では、タイにおける主要な疾患から、専門的な事柄までパワーポイントや顕微鏡を用いて解説していただき、とても興味深い内容でした。

 タイの小児疾患の特徴は、感染症や代謝性疾患が多いことでしょう。感染症はとくに、細菌性赤痢・アメーバ赤痢・A型及びE型肝炎・マラリア・デング熱が見られます。さらに一夫多妻を認めるイスラム教徒の存在や小児のマススクリーニングが充実していないこともあることから代謝性疾患、特に遺伝性の代謝性疾患が多数見られました。他にも血液疾患であるサラセミアは、まさに国民病とでも言うべき患者数でした。今回私は、フィーシャイ教授がタイのサラセミアの権威であるということから、このサラセミアをメインに勉強しました。教授の外来を見学させていただき、タイでのサラセミアに関する現状や対策、基本的な症状や治療、さらには遺伝子レベルでのサラセミアのタイピングに至るまで、非常に深い知識を得ることができました。他にもベッドサイドで感染症の勉強を出来、非常に有意義な実習を送ることができました。

 三週目にはナコン・シー・タンマラート県シチョン(Sichon)郡にあるシチョン病院で実習を行いました。ここでは、郊外での病院の役割や業務ということで、一般内科や一般外科、救急や伝統医療・代替医療などを勉強しました。タイといえばタイ古式マッサージが有名ですが、このマッサージも関節痛などの慢性疼痛で悩む患者さんや慢性疲労に悩む患者さんのための、きちんとした医学治療と認められており、病院内にはリハビリテーション施設を兼ねた専用のマッサージルームが設置されており、専門の資格を持ったマッサージ師の先生がいました。他にも病院に来ることができない、老人や重度の身体障害者の家を訪ねる訪問診療に先生と同行したり、夕食を交えながらタイの医療についてお話を伺ったりと、大学病院とは違った地域病院としての特色ある実習が行えました。

 今回、いろいろな方のご尽力で、私たちがタイへ留学できたことに感謝いたします。今回の留学では、タイでしかできない充実した実習が送れたと思います。例えば、タイの医療システムと日本の医療システムの違い、医療に関する医師の考え方の違い、特にタイではホスピスが一般に浸透しているため末期患者に対する治療方針や考え方には考えさせられることもありました。さらにタイにはタイ仏教のほかにもイスラム教が小数を占めるため、医療にも宗教的な考え方にも違いがみられ、医療における宗教意識の比較的乏しい日本とは大きく異なっていました。

最後に、私がこの実習で得た最も大きなものは、人々との交流だと思いました。もちろんタイの先生方や学生との交流も思い出深いものが多いですが、同じ医学を志す医学生や留学生同士の交流はなにものにもかえがたい貴重な体験だと思いました。



医学科6年 M.O

実習前に思った疑問

Q  飛行機チケットはどのように入手し、いくらくらいになるか。

A バンコクで国内便に乗り換えてハジャイまで。バンコクからハジャイまでは2時間くらいでした。インターネットの30日間FIXチケットで燃油サーチャージも含めて9万円くらいでした。

Q お金はいくら必要か??

A これは人によりけりだと思います。5万程度から10万以上までばらばらだった気がします。週末に遠出したいのならある程度は必要で、換金もできるしカードを持ってきている人もいました。

Q  教科書類はどのようなものがよいか。

A ポケットハリソンをすすめられました。電子辞書などは持ち歩けるので便利です。教科書は大学内の図書館にもあって、台湾からの学生も借りて使用していました。

Q ハジャイの街??

A タイ南部にあり、国内でも3番目に相当するくらい大きな町でデパートや商店など多くある街です。

Q 食事は??

A ハジャイは大きな町で多くのレストランがあります。タイ料理はもちろんのこと、中華や日本料理のお店、ファーストフード店など様々で、辛いものだけではありません。値段も幅広く、地元料理などは大体日本の10分の1の値段で食べられます。とにかく安くて食の宝庫といった感じです。

Q1.寮、周辺の生活環境は??

A1.大学内のスペースにある寮で女子4人、エアコン、トイレ、温水シャワーもついていて思っていたよりも快適でした。またイオンのような大きなスーパーもあるし、構内に売店、コンビニ(セブンイレブン)もあり生活用品に困ることはありませんでした。

 キッチンもあり、炊飯器を寮生に借りたりしていましたが、昼は学食、夜は外食に連れて行ってもらえるので使用しませんでした。

Q 洗濯類は??

A  クリーニング屋さんがあり、アイロンもかけてくれ、料金も日本の四分の一もしない程度だと思うので便利です。

Q ソンクラーン(水かけ祭り)の間の安全性??

A テロについてそれぞれ先生方がハジャイ、バンコク、サムイやプーケット島などを、首都だから,リゾート地だから、などという理由で安全だ、危険だとおっしゃっていたのでわかりませんでした。ただ飲酒規制がないので、外に出るからには交通事故の危険性はどこでも伴うようです。 

・ティーダ先生の家に招待していただけると思うので、一枚くらいはシャツとかワンピースものがあるとよいかもしれません。(台湾留学生がきちんとした格好をしていたので)



—プリンスオブソンクラ大学留学報告書—

医学科6年 M.S

● 旅費(航空券)

楽天トラベルで予約。福岡出発組、関西出発組がいた。予約ではFIXを確認すること(タイでの可能滞在日数)、福岡→バンコク→ハジャイの往復FIX30タイ航空で航空券代¥70,000、空港使用税その他を含めて¥86.115が一番安かった。ハジャイにはみんなで同じ便で着くように変更した。(変更や確認は電話が確実!)しかし、バンコクのスワナブーム新空港の利用発着本数制限に伴ってタイ航空の国内線の発着空港がドンムアン空港(旧国際空港)へ移管となった。予約した国内線は翌日の便に代替されてしまった。全員、航空会社の用意したバスで移動、バンコク市内の素敵なホテルで一泊。不幸中の幸い?

● ワクチン

タイへ出発する1週間前に三原内科(源藤)に打ちに行った。確かそこが一番安い。抗体が出来るのにはある程度の時間がかかるのでなるべく早くに行った方が良い。私は日本脳炎、A型肝炎ワクチンの2種類。A肝は3回(1回目を1週間前、2回目を出発直前にした。3回目は9月の予定)必要で、予算はだいたい¥7,000。そこの内科医によると、ヨーロッパ・アメリカ以外の地方に旅行に行くなら打っておくべきだそうだ。本学のM山先生によると「必要ない」。各自の判断で。

● 海外旅行保険

必要かどうかは誰も知らなかったので、とりあえずインターネットで検索して個人で損保ジャパンの海外旅行保険に加入した。¥6,240で、一般的な保障内容。「留学」という区分があって、他の区分より少し安かった気がする。しかし、本プログラムはクリクラの実習先なので、本来は学校側からの保険がおりるのでは?という疑問は未解決なので回答を求む。

● 教科書

もちろん各自の判断で。私はネッター解剖学アトラス、イヤーノート、harisson Principalを持って行った。ちなみに電子辞書なし。QBなし。教科書類(もちろん英語!)は大学図書館で借りられる。しかし、留学担当の事務の方は図書館秘書に連絡したといっていたが、図書館ではまだ私たちの貸し出し許可がおりておらず、結局最終日まで一度も本を借りることはなかった。

● 通信手段

私のvodafoneは国際電話もかけられたが、メール1通¥100、通話1分約¥350なので日本の携帯をそのまま使うのは勧められない。私も含めメンバーの半分くらいは近くのショッピングセンター等で携帯電話を購入した。価格はピンキリ、安いのは¥2500くらいから。タイの学生とも簡単に連絡が取れるし、日本へも安くでかけられるので○。誰かタイの学生に連れて行って一緒に買って貰うと良い。日本の携帯事情とはだいぶ違う。携帯本体とUSIMカードというものを別々に買う。また、使用の際にはプリペイドカードを買って、シリアルナンバーにアクセスしてチャージしてからはじめて使える。USIMカードを他の携帯につっこむとそれを自分の番号の携帯として受けることができる。これは日本では違法でできないことになっている。問題は(私もそうだった!)英語で電話する、ということに抵抗があること。ほとんどの人はあまり経験したことがないと思われる。しかし。これも英語の勉強の一つだと前向きに!

● 服装

基本的には黒のパンツに白衣が良い。先生たちはかなり自由なスタイルだったが(完全に私服の人もいた)学生はだいたい黒のパンツだった。白衣は日本では1週間に1回の洗濯で良かったのに、タイでは毎日かなり汗をかくので毎日変えなくてはならなかった。私はケーシーと長袖白衣を1枚ずつしか持って行かなかったのでとても困った。白いシャツで代用した。初日にネームプレートが配られるのでそれを着けよう。実習以外ではたいてい半袖の服を着た。移動するバスの中などはエアコンがかなり効いていて(しかも調節できない)寒いこともあった。

● ドミトリー環境


私たち女4人は、看護師寮の様な棟の一室で生活した。もちろん大学構内にあって病院も近い。すぐ近くに小さな生協のような店があり、歩いて1分でセブンイレブン、歩いて5分でテスコという大きなショッピングセンターがあってとても便利だった。テスコに行けば食料品、衣料品、日曜雑貨、電化製品、ケンタッキー、携帯、ほとんどなんでも揃う。郵便局も近い。棟の名前はPra-Sarn-Jai1(プラサンチャイヌーン)という。「どこに住んでいるの?」とよく聞かれるし、タクシーで帰る時にも必要なので住んでいる場所の名前は覚えるべき。玄関から入るとトイレ(水洗!)と洗面台とシャワーが一つになった場所と、キッチンがまずある。流し台、冷蔵庫はあるがガスコンロはない。ほとんど自炊することはなかった。タイでは外食した方が安い。広いリビングがあって、テレビ、ソファー、食卓があった。そして部屋が2つでそれぞれにベットが2つずつあったので、分かれて部屋を決めた。どちらにもエアコンがあった。部屋にはクローゼットが一つあり、2人で使用。4人とも実習科が違っていたので朝出る時間も帰ってくる時間もバラバラだったのに部屋の鍵は一つしかなかった。許可を取って、近くの鍵屋さんで3つ複製してもらったが料金は自腹。蚊取り線香をほぼ毎日たいて蚊対策をした。コンセントの穴は日本のと同じだが、変圧器が必要。パソコンは不要(電源コードの途中についている黒い四角い箱は何と変圧器らしい)。滞在中に突然停電したことがあった。何年かに一度の定期検査のためだったらしいが、何の予告も無しにしかもかなり長時間だったのでかなり困った。構内の地図が頭に入っていないと迷う。事前に確認できれば良かったことの一つ。

隣の棟は医学部の学生の寮でほとんどの学生はそこに住んでいて、何か用があるときは近くて助かった。

学生寮の1階は机と椅子のある広いピロティになっていてそこでは無線のインターネットが使える。時間があればみんなそこに集まって情報交換。待ち合わせにも使う。うちの大学でいう「コーラ部屋+ヒポ前」みたいなものだった。

● 洗濯

寮には洗濯機がなく、一番困ったのは洗濯だった。部屋まで回収、仕上がったものを届けてくれる“洗濯屋さん”がいて、雇ったら良い、というアドバイスをもらったが料金が煩雑なのと誰も連絡先を知らなかったということでできなかった。近くに2軒、洗濯を請け負ってくれるランドリーがあった。しかし、だいたい朝9時から5時までしか営業していない上に水曜日は定休日、それ以外にも不規則に休むために、かなり苦労した。朝早い実習だと預けられないし、夕方帰るのが遅くなって受け取れないこともあった。また、預けた服にはペンで印がつけられ、紛失、他人の服との間違いも多々あり。唯一の救いは、洗濯のみとアイロンがけは別料金だが、かなり安かったということだ。たくさんあっても¥500もしなかったかも。コインランドリーというものはないのでそこを利用するか、大切なものは各自で手洗いするしかない。

● インターネット環境

図書館や学生パソコン室があって、そこでインターネットを使える。使用できる時間が限られていて、日本語は使えない。私は自分のノートパソコンを持っていった。病院内にある、“communication center”のようなところにパソコンを持って行って設定してもらったら快適に使えるようになった。そのパソコンは後々の学生が使えるように留学担当者に預けたので、ぜひ活用しましょう。Skypeはとても便利。


● 食事

朝は、前の日に買っておいたヨーグルトなどを食べた。昼は院内で食べる。私はERを回ったがそこにはスタッフのために毎食事が用意されているので、朝食、昼食ともそこで食べることが多かった。夜は大抵は学生がどこかに連れて行ってくれる。構内、院内にも食堂はたくさんある。また、月・水・金曜日には構内で市場が開かれる。いろんな食べ物があるのでそこで済ませたり、買ったりした。慣れない食生活で私たちのほとんどは始めの週におなかを壊した。日本の下痢止めの薬が効くかどうかは分からないが、必要なら持って行った方がよい。

● 支給

大学側から生活資金が支給される。詳しい金額は忘れてしまったが確か6000バーツ(¥18,000)ほどだった。

● 週末観光

ソンクラの近くにはとてもきれいで有名な観光スポットがある。着いたその日や週末には、ソンクラ出身の学生や、Dr.Vichaiに観光案内してもらった。ツアーの申し込みやホテルの予約など、すべてしてくれてかなりお世話になった。

● 実習

メモ帳必須。聞き取れない言葉や分からないことは紙に書いて、絵で説明してもらうとわかりやすい。自己紹介の時、その人の名前も書いて示してもらう方がいい。例えば「私はタンです」とその場で言われてもあとでまったく同じようにはなかなか発音できない。タイ語は微妙な発音が重要なので、カタカナで書いている音をそのまま発音しても通じないことが多い。アルファベットで書いてしかもアクセント記号も付けてもらえば、正しく失礼のないように記憶できる。

患者さんとのコミュミケーションはほとんどできなかった。タイ語でないと通じないからだ。それで、「痛いですか?」というタイ語を習って、ある患者さんに聞いてみたら通じた。ほんのささいなことだがとても嬉しかった。事前に少しでもタイ語を覚えるとよい。

● 実習日程と内容

タイへ行く前に希望の実習科を提出する。だいたいは希望通りにいくようだ。私は4週間のうち、最初に2週間ERで次の1週間を市中病院(6人一緒)、最後の1週間を感染症内科という日程であった。

【ER】救急診療部内見学、救急車内見学、レジデントのレクチャー(呼吸器挿入テクニック・癌救急)、レジデントの勉強会(小児二次救命処置、腹部大動脈瘤破裂)、6年生のレクチャー(手の外傷、二次救命処置)などに参加させてもらった。また、患者の身体診察(血圧測定、聴診、触診etc.)、処置(傷の縫合、胃洗浄、心肺蘇生)などをした。前年に宮大で実習をしていたJameが同じ時期にERで実習していた。彼に本当に助けてもらった。ERで出会った症例

・SLE(全身性エリテマトーデス)の急性脳症

・交通外傷(motercycle acident)

・熱性痙攣の小児

・関節炎(敗血症)

・凝固障害による歯肉出血

・酸熱傷

・蛇咬傷

・下肢静脈瘤による潰瘍

・結核

・脳梗塞

・ESWL後の背部痛

・眼内異物

・心不全

基本的に、ER内には常時10人くらいの患者がいた。まずは、6年生が問診をとり、診察をする。近くにいるレジデントに症例を見せる。治療を引き継ぐ、もしくは学生が処置まで施す。というような流れだった。6年生はほとんど医師と同じような働きをしていた。薬剤のオーダーも電子カルテで実際に行っていた。看護師、看護助士が多かったが中堅の医師は2,3人しかいなかった。レジデントの方にもいろいろなことを教えて頂いた。遠くにいる私を手招きして呼び、症例の説明をしてくれた。そして、たくさんの質問も。患者がいれば必ずそこに行った方がよい、何か勉強になる。ついでに何も言われなくてもグローブをはめて待っていると、縫合や処置の助手が近くでできる。それを発見してからは、よく待機して待っていた。

【Sichon Hospital】PSUから車で約4時間、ナコンシータマラートという場所にあるシーチョン病院で1週間実習した。大学病院とは違って、少し小規模の地域病院。最先端技術を使った治療ではなく、プライマリーヘルスケア、全人的医療を目標としている病院。内科、ICU、外科、整形外科の病棟見学、ER、手術参加、プライマリーケアユニット見学、往診などをした。宿泊の手配や移動バス、病院での食事はすべて用意されて、手厚いもてなしをしていただいた。最も印象に残っているのは、往診である。12歳の時にバイク事故を起こし、頸椎骨折で寝たきりとなった24歳男性の家庭では家族が介護をしていたが、小さくてエアコン設備のない家屋で、豚・鳥・犬・猫などの動物が周囲でたくさん飼われているという状態であった。タイの田舎での人々の暮らしと医療の関係を間近でかいま見ることができて、衝撃を受けた。Family folderというものを知った。ただの患者のカルテではなく、住んでいる場所や環境、家族構成、家族のカルテもまるまる書いてある、まさに全人的な診療録。日本ではほとんど見ないAIDS患者も多くいた。死亡率は急上昇中ということだ。院内では理学療法として「タイマッサージ」を行っている。私たちも体験して、マッサージ方法を習い、実際に試した。

【感染症内科】

最後の1週間は感染症内科を回った。基本的に回診・外来・レクチャーだった。回診では特定の病棟ではなく、各科の病棟の感染症関連の患者を回るというスタイル。階段や廊下をひたすら歩く長い回診であったので体力が要求された。私たちは薬学部の学生数人と一緒に、感染症内科の教授について行動した。ほとんどの患者は、各科から感染症疑いでコンサルトされてきたものだ。熱型表を見て、検査を出し、抗生剤の決定、投与、効果判定のくり返し。多種多様の抗生剤の種類と使い方を知らなければなかなかついて行くのは困難。せめて基本的なことは覚えておくべきだったと後悔した。「ホスホマイシンはどうやって使う?」という質問に全然答えられなくてかなり落ち込んだ。タイでは学生のうちから薬剤のオーダーをするので、日本の学生よりはよほど詳しい。また、胸部X線写真の所見を述べよ、という質問も多くされたが難しかった。外来では、見学や患者の診察もさせてもらった。レクチャーは「細菌の薬剤耐性について」、「寄生虫概論」だった。私たち宮大の学生のためだけの講義だったので質問しやすく、とてもためになった。

☆知らないとはずかしい(知らなくて恥ずかしかった??)単語集☆

jaundice:黄疸、respirator:人工呼吸器、cyanosis:チアノーゼ、Chief Complain(CC):主訴、Present Illness(PI):現病歴、Patient History(PH):既往歴、Physical Examination(PE):身体所見、bleeding:出血、swelling:腫脹、dressing:包帯を巻く、medication:薬、vertigo,dizziness:めまい、ST dipression:ST低下、Psoriasis:乾癬、Hemophilia:血友病、syncope:昏睡、cirrhosis:肝硬変、spider angioma:クモ状血管腫、investigate:検査する、febrile seizure:熱性痙攣、convulsion:痙攣、septic arthritis:敗血症性関節炎、aspiration:吸引、peritonitis:腹膜炎、lavage:洗浄、intracostal dranage(ICD):胸腔内ドレナージ、coagulopathy:凝固障害、abdominal colic:腹部疝痛、tong dipresser:舌圧子、thermometer:体温計、stethoscope:聴診器、opthalmoscope:眼底鏡、guaze:ガーゼ、saline:生食、scrub:消毒、sterilize:消毒する、forcep:鉗子、AVM:動静脈奇形、miliary TB:粟粒結核、pleural effusion:胸膜浸潤、numb:感覚麻痺、epilepsy:てんかん、ascites fluid:腹水、avian flu.=Bird influenza、cytopenia:血球減少、myoma uteri:膀胱の筋肉腫、arrythmia:不整脈、dementia:ぼけ、autopsy:剖検、acromegaly:先端巨大小、exophthalmos:眼球突出、actinomycosis:放線菌、hoarseness:嗄声、multiple myoma:多発性骨髄腫、bronchiectasis:気管支拡張症、reticular infiltration:網状浸潤、anorexia:食欲不振、afebrile:無熱性の、aseptic meningitis:無菌性髄膜炎、infectious endocarditis:感染性心内膜炎、broad spectrum antibiotics:広域スペクトラム抗生剤、cholecystitis=gallbladder inflammation:胆嚢炎、dyspepsia:消化不良、indicaion:適応

・どうしても聞き取れない単語は薬剤名だったりした。

・薬剤名の発音は正式な英語で覚えよう。例)ジアゼパム=dyazepamはダイアゼパム

・日本語で分かっていても英語で答えられなければ分からないのと同じ

・疾患名はもちろん英語で覚えていないとだめでした

・聞き取れないのものは書いてもらう

● 最後に

どこに行っても関係者の方がとても親切だった。私の質問には必ず丁寧に答えてくれた。自分の英語力を考えて尻込みすることもあったが(例えばタイの救急制度について詳しく聞きたかったがなかなかできなかった)今ではそれを後悔していて、どんなに時間がかかってもいいじゃないか、つきあってくれるまで質問をし続ければ良かった、と思っている。もう一つの反省は、臨床講義が始まって疾患名をたくさん覚え始めるときに英語でも同時に覚えておくべきだったということ。低学年の学生はぜひそれを実践すると良い。タイで心がけていたことは、とりあえず積極的に何でもやってみるということだ。ERでは昼より夜間の方が忙しい。実習時間ではなかったが、夜間救急というものを体験したくて、参加した。また、レジデントの人たちが昼食によく誘ってくれたのでそれにもなるべく行くようにした。仲良くなれば質問もしやすくなる。講義などは、出てもいいし、どちらでもいいよ、といわれたが、すべて参加するようにした。また、PSUには他の国からのも多くの留学生が集まる。私たちとちょうど同じ時期に台湾から3人の学生が来ていた。しばしば一緒になることがあったが、彼らはとても優秀だった。英語能力だけでなく、医学的知識も豊富だった。話をしていると「日本の病院ではどうなの?」ということになる。そういうときに私は、今ここでは私は日本の代表なんだ、という気持ちになった。または宮崎大学の代表だという気持ちで、身が引き締まる思いがした。PSUを去るときにERレジデントのみなさんから手作りの製本された教科書をおみやげにいただいた。「Study Hard」というメッセージとユーモアのある暖かい表紙に涙が出るほど感動した。

英語の能力がどの程度必要かという質問には、自分のことを振り返り、肩の力を抜いて「ある程度」と答えたい。コミュニケーションをとろうとする努力が大切で、その気があるなら、ある程度の能力はカバーできると信じているからだ。そしてこのプログラムが、単に病院実習の延長線にあるのではなく、宮崎大学医学部とPSUとの交流であって、人と人との繋がりを作るためのプログラムであるということを考えると、そういう答えに行き着いた。池ノ上先生によると「ある程度のcompetitionは必要」ということだが、私は「行きたい」と純粋に思う学生なら誰でも参加できればいいな、と切に願っている。学生のうちにこのような体験ができて本当に良かったと思う。一生忘れられない体験になった。EMPの先生方、学務課の方々、またPSUの先生方、学生達、関係者の方々に感謝したい。そして、1ヶ月間、合宿のように毎日一緒に過ごした仲間達へ、楽しい思い出をありがとう。

後輩のみなさんへ。聞きたいことがあればどうぞ遠慮なく連絡をください。



EMPプログラムに参加して

医学科6年 M.Y

 今回タイ、プリンス・オブ・ソンクラ大学での実習に参加して、多くのことを見て吸収出来ました。 その中でも自分にとって一番大きいのは、タイと日本の医学教育の違いを体験できたことです。

医師不足という背景も手伝ってか、タイの医学教育のシステムは全てが参加型でとても実践的です。4年次の最後から開始される病棟実習では、学生が担当患者に問診し、所見をとり、検査や治療の方針をたてます。何の検査をし、どのような薬をどれくらい使うかといったこともよく知っています。4年生を5年生がチェックし教え、それを6年がチェック、教え、その上にレジデント、スタッフドクター、プロフェッサーと「教える」という事がとてもよく浸透していると感じました。そのせいなのか、ドクターと学生、学生同士の距離もとても近く見えました。外科ではさらに毎朝の消毒や傷のチェックも学生の仕事です。朝の6時から夜の6時、7時まであるのはあたりまえ。6年生になると薬の処方もできますし、大学病院外のCommunity hospitalでの実習では一人で虫垂炎、帝王切開のオペもやります。もちろんレジデントがチェックするのですが、私がまわった形成外科ではレジデントが2人とプロフェッサーしかおらず、学生の働きが確実に治療を支えていました。そうやって学生の早い時期から大きな責任を負ってやっているので、タイの学生達の臨床的知識は日本の学生のそれとは比にならない程でした。

 さらにタイでは医学は英語で勉強します。「医学タイ語」という概念が存在しないようでした。患者さんとタイ語で話しながら、手はカルテに英語を打ち込んでいきます。ほとんどの人が英語の教科書を使っていますし、小児科では先生の一言で回診が全部英語に変わることもありました。

 日本で卒後にやることをそのまま学生が、しかも私より下の学年でもやっている。英語も堪能。そんななかで、教科書片手に何もできない自分が初めは非常に恥ずかしく思えました。どうしても出来るようになりたくて、休みの日も形成外科の6年生と病院に行って消毒したり、回診したり、手術にアシスタントとして入ったりしました。そのうちに何をするべきか雰囲気で分かるようになってきます。毎日患者さんを見ていると処置の手順、経過が分かりました。タイ語が分からなくても患者さんの言ってることがなんとなく分かるようになりました。形成外科での実習の最後には一人で褥そうの消毒をさせてもらうようになりました。

 日本でも色々な科があります。言葉は通じても、医局によっても考え方ややり方が違います。「耳をすませて、患者さんやスタッフよく見て、空気を読むように心がける」そういう臨床でのコツ、自分なりのやりかたみたいなものを見つけることが出来たと思います。

 ソンクラでとても親切にご指導いただいた先生方、仲良くなった学生達に心から感謝しています。そして、このような体験をさせて頂いたことを宮崎のEMPに携わっている皆さんにとても感謝しています。

これから後輩の一人でも多くが、海外の医学を体験して、何かを見つけてくれることを願っています。

ありがとうございました。