新しい自然哲学の基礎を準備するために

ゲルノート・ベーメ編『われわれは「自然」をどう考えてきたか』

(伊坂青司+長島隆監訳)どうぶつ社―5000円(税別)



 21世紀を目前にして、われわれ人類はいくつかの重大な課題を抱えている。その内のひとつが環境問題であることを否定する人はいないだろう。DDTやPCB、そしてダイオキシンなどの内分泌攪乱化学物質、いわゆる環境ホルモンの恐ろしさについて、連日マスコミ等で報道されているのを耳にすると、我々の生活している産業社会は、やはりどこかおかしいのではないかと思わずにはいられない。そうした疑念を抱いた時に、われわれ人間と自然との関わり方を反省しようとする知的営みが生じてくる。今日「自然哲学」という学問がクローズ・アップされるようになってきた理由のひとつを、そこに求めることもできるだろう。


 本書の編者ゲルノート・ベーメ氏も、序章の中で「環境問題こそ、ヨーロッパ文化内部における自然関係の支配的な在り方が疎外された自然関係であり、そのような関係が容赦のない自然の収奪にまで進んだことを明るみに出した」とし、今こそ疎外された自然関係を回復するという「実践的な目的をもった自然哲学」を模索する必要性を強調している。そのためには、これまで人類が培ってきた自然に対する知的営みの伝統の継承と歴史的連続性が網羅されなくてはならないが、すでに存在する多くの自然観に関する歴史的叙述は、そのほとんどが19世紀以降の実証主義科学の勝利という観点から描かれていて、それに先行する自然に対する哲学的な営みはすべて、特に1800年前後のドイツ自然哲学に対する「ロマン主義的な逸脱」という中傷に代表されるように、「科学的」無知さゆえの誇大妄想的な物語として不当に扱われてしまっていることが少なくない。


 本書は、こうした自然哲学に対する自然科学の勝利という一面的な歴史的図式によって「排除されてきたものの復権と、とぎれとぎれになった伝統の復活」に貢献することを通じて、「自然哲学の信用を失墜させ、自然哲学をアカデミズムの専門科目全体から最終的に排除する」ことになった歴史の暗闇に光をあてるための貴重な資料を提供してくれるにちがいないだろう。しかし、編者のベーメ氏自身も「読者はある哲学者がいない」とか「別の哲学者は余計だと思うかもしれない」とことわっているように、古代ギリシアから現代物理学の先端に至る全23章の人物選択に不満を感じる読者もいるかもしれない(例えば、デカルトが割愛されている一方で、エルンスト・ブロッホが現代の自然哲学者に名を連ねている等の点)。この点に関しては個々の読者の判断に委ねるとして、本書の活用方法には、主に2つあることを紹介しておきたい。


 まずひとつは本書を「主要自然哲学者 人物辞典」として読者の必要と関心に応じて、それぞれの章を紐解くというスタイルである。もうひとつは、評者としてはこちらを薦めたいのだが、本書の大きな企図である「新しい自然哲学の基礎を準備するために」は、読者としてもただ単に人名辞典のように年代順に並べてある人物解説を辿るだけでなく、自然についての人類史的規模における哲学的考察が、どのように変遷してきたのかを概観しようとする大きな視点をもって本書を読むというスタイルである。


 本書が最終的に目指している、現代の自然諸科学が高度に専門化され細分化されることによって見失われてしまった「自然全体についての有機的な知」や、「自然についての哲学的考察の歴史的変遷」に関する分析については、監訳者、伊坂青司氏による「はじめに」と、同じく監訳者、長島隆氏の「訳者あとがき」、そして編者ベーメ氏による「序章」において、その方向性が簡明かつ意義深く提示されているのだが、本編の中でこの課題を担っているのは、第19章「20世紀のホーリズム」であるだろう。まずこの章を読んで、この章に登場してきた主要人物に関する各章にフィード・バックするというスタイルを、シェリングを中心とするドイツ自然哲学に関心を持つ評者の立場から紹介したい。


 現代自然科学の方法論的限界を一言で特徴づける時、それは「還元主義(reductionism)」だと表現される。究極の要素的原子を発見し、その要素にあらゆる生命現象や物理法則を還元しようとする立場だと言われ、そこでは全体とはあくまでも諸部分の加算的総和以上のものではないとされる。現代において、このような還元主義的で機械論的な認識模範に対する反証を提示することになる最初の理論的きっかけを与えたのは、1891年のハンス・ドリーシュによるある「実験」だったと、この章の執筆担当者クラウス・アビッヒは指摘する。その実験とはウニの胚分割に関するもので、ドリーシュは卵割をはじめたウニの胚を半分に切った。当時、それまではワイスマンに代表されるように、半分に切られた部分からは、半分の細胞しか成長しないと考えられていたのだが、実験の結果、通常の場合よりも小さいながらも完全なウニの幼虫へと成長したのだった。このため彼は、生命を物理・化学法則から説明することに疑問をもち、生命独自の要因としてアリストテレスのいうエンテレケイアに相当するような生命力があることを提唱した。アビッヒは、このドリーシュの実験に依拠して、いわゆる「還元主義的」思考の方法論的原理は、全体が部分へと分解できることに重きを置く「〔全体は〕〜へ分解できる」という<部分起点的>原理であるのに対し、ホーリズム的思考の方法論的原理は、部分を全体を構成する「分肢 Glied」として理解し、全体から出発する部分理解という意味での「〔全体は〕〜から構成されている」という<全体起点的>原理なのだと特徴づけている。こうしたホーリズム的思考を可能にし、20世紀の後半から、産業社会による自然破壊に直面することで生じてきた環境に対する危機意識が、われわれの「自然像のなかにプラトンとアリストテスの理念世界を総合的かつ入念に一体のものとして考え、近代の力動的な思考をこの理念世界のなかへ持ち込む」(アドルフ・アビッヒ)ことを可能にする思想家として、クラウス・アビッヒはゲーテとシェリングの名を挙げている。ところが、詳細な論述がアビッヒ自身によっては展開されていないため、読者としては、第14章「ゲーテ」と第15章「シェリング」にフィードバックさせられることになる。ここでは、「経験的実験」に対するゲーテとシェリングの理論的態度に関して、それぞれの章を相互に参照しあうことで浮かび上がってくる問題点を紹介しておきたい。


 19世紀後半にシェリングは主に自然科学者から非難を浴びた。その非難によれば、彼は経験を考慮せず、「思弁的に」自然を演繹し、科学的認識とは無縁な自然の夢物語を構成しているという。しかしこれは「まったく不当な非難」だと、この章の執筆担当者コヴァルティークは述べている。彼はその根拠を、シェリング自身から次の叙述を引用することで提示している。「私たちは経験を通じ、経験を媒介にしてあれこれを知るだけでなく、そもそも根源的に経験を通じ経験を媒介にして以外は何も知ることはできない。そして、その限りで私たちの知全体は経験命題から成り立っている。」したがって自然哲学のいっさいの根本諸概念も、それらが哲学的に整合的でなければならないだけでなく「経験的実験」にもゆだねられねばならない。だがしかし、たしかに経験は自然哲学にとっても欠くことのできない基準点ではあるが、そこに留まるわけにはいかない。なぜならいっさいの科学的認識にとって重要なのは、「あらゆる自然現象の内的必然性を洞察すること」だからである。理論は経験からだけでは演繹できない。では理論は、どこから私たちに到来するのか。シェリングが強調しているのは、自然哲学は確かに自然科学的探究に依拠しなければならないということ、だが、自然哲学にとって問題なのは、数量化可能な客観知ではなく、産出的自然の総体が持つ現実性の連関から自然現象の現実的存在を「概念的に把握すること」だとコヴァルティークは指摘している。自然科学は、自然現象が属する一定の対象領域を客観の連関として探究する。しかし、自然科学的認識を全て加算してみても、自己産出的な現実の自然概念には到達できない。現代における自然科学が、自然哲学から遊離すればするほど、自然総体の理解について自然科学が成しえる認識は不毛なものになってしまうだろう。しかし反対に、自然の現実的連関の総体を問う自然哲学に対して、自然科学が開かれた態度をとるならば、自然科学の実験的探究も産出的自然全体に向かうようその知的態度を促進されるようになるだろうとコヴァルティークは期待を込めて予想している。現代において求められているのは、自然哲学が自然科学を排除したり自然科学に取って代わろうとすることではない。そうではなく、自然哲学と自然科学的探究との共同作業であることが強調されている。


 さて、第14章「ゲーテ」の中では、ゲ−テがシラ−に宛てた1802年の手紙が引用されており、その中でシェリングの自然哲学に対する不満が次のように述べられている。「私はまったく純粋に思弁的な態度をとることができませんので、どの命題にも直観を求めざるをえないし、またそれゆえ自然のなかに逃げ込みもするのです。」ゲ−テの形態学は、最初はごく身近な友人の間でしかその存在を知られていなかったという。特にゲーテが1796年と1806年に企図し、すでにかなり準備が終わっていたはずの『自然理論と自然史からの観察と考察』の出版を彼が延期したという事実は何を意味しているのだろうか。たしかにシラ−と、出版社のコッタによって催促されていた『ファウスト』や他の出版物の仕事が忙しかったという理由もあるだろう。しかし、第14章「ゲ−テ」の執筆担当者、ヴォルフ・エンゲルハルトとドロテ−ア・ク−ンは、自然哲学的構想に対するこの「ゲ−テの沈黙」の主な理由は、シェリングをはじめとするドイツ自然哲学の進展と関係があると推察している。すでにシラ−に宛てた手紙の中で、シェリングに対する不満を述べていたところでもあらわれていたように、ゲ−テにとってシェリングの自然哲学は、「経験を思弁の尺度に従属させてしまって」いる「精神の目眩」であり、時には「朦昧で無際限な活動」や「奇怪な現象」でさえあったのだ。しかし、第15章の「シェリング」の中で強調されていたように、シェリング自身もいらずらに誇張された「思弁」ではなく、経験に裏打ちされた概念的把握として「思弁性」を捉えていたことを考慮するなら、ゲ−テの言う「精神の眼をもって対象をみること」や「感覚的な直観」という概念や、あるいはシラ−がゲ−テに対して提唱していた「理性的な経験」ということと、シェリングが「知的直観」ということで捉えようとしていた事柄とは、そう隔たったところにあったのではないかもしれない。そしてまた、ゲ−テとシェリングによって提示されていた、単純な実験的経験とは異なった意味をもつ、この古くて新しい<経験>概念を明確にする作業が、アドルフ・アビッヒとその息子クラウス・アビッヒの2人揃ってゲ−テとシェリングに期待していた「ホ−リズムによる機械論の自然哲学的克服」の可能性を開き、ひいては今日われわれが直面している(内部環境としての人体も含めた)環境危機を乗り越えるための「新しい自然哲学の基礎を準備する」作業の内のひとつに(地道な継続が必要であるだろうが、やがては)つながっていくのではないだろうか。


 監訳者が切望しているように、本書が今日の自然環境における危機的状況に関心のある多くの人に読まれることを心から期待するものである。

                     (いたい こういちろう・医療倫理学)


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