教室紹介 教室紹介

教室沿革

 宮崎大学医学部の前身である宮崎医科大学は、1974年6月に開学しました。無医大県解消計画として「一県一医大構想」が閣議決定され、新設医科大学が設置されたころで、宮崎県は滋賀県、静岡県とともに早期に設置が認可されました。
 その約2年後の1976年4月、熊本大学から澤田惇先生が初代教授として赴任し、眼科学講座が開講しました。翌年の1977年10月には医学部附属病院が開院したのですが、開講当初は4名のスタッフ、校舎も県立宮崎病院の一部を使用しているような状況でした。そのような状況の中、澤田名誉教授の専門であった超音波の研究業績により、開講からわずか9年の1985年には日眼総会の宿題報告にて研究成果を発表するに至りました。また1994年には日本緑内障学会を主宰し、翌年の1995年には同学会で「緑内障と超音波診断」と題して須田記念講演を行いました。
 1988年に講師として京都大学から赴任した直井信久先生が1998年8月に第2代教授として教室を引き継ぎました。宮崎医科大学は2004年10月に宮崎大学と統合し、現在の宮崎大学医学部となっています。直井前教授は、臨床においては専門である網膜硝子体疾患を中心に講座を牽引し、研究においては遺伝性網膜変性の分子生物学的解析において成果をあげました。また、2015年には日本光医学・光生物学会を主宰しました。直井前教授の業績に加え、准教授の中馬秀樹先生が神経眼科領域において講座を牽引し、2016年には講座として2回目の日眼宿題報告 (評議員指名講演) を行い、2018年には日本神経眼科学会を主宰しました。
 2019年8月からは、当時九州大学准教授であった池田康博先生が第3代教授に就任し現在に至っています。