今回の同窓会の始まりは、2023年11月11日の篠懸会講演会・懇親会でした。その場で4期生の加藤丈司先生が、「4期生は卒後40周年同窓会をやって楽しかった」と、嬉しそうに話されました。「えっ! 2024年は5期生が卒後40周年?」と気付いた瞬間でした。確かに、卒後40年は定年退職の時期です。第二・第三の人生を歩み始める時期でもあります。2024年は同窓会を開催するのに実に良いタイミングと思われました。

 <同窓会開催まで>
それでは、同窓会をいつ・どこで行うか? 2024年10月13日の大学開講50周年記念の催しに合わせるという案もありました。また、「東天閣」という昔懐かしい名前も挙がりました。いろいろな案が挙がった結果、会場はANAホリディ・イン リゾート宮崎となり、日時は8月24日の午後4時からと決定しました。そうです! 4期生の“パクリ”です。
昭和53年入学および昭和59年卒業の同窓生は120名です。2月11日に物故者や不明者を除く100名に案内状を発送しました。案内状送付のレスポンスは驚くほど早いものでした。待ってましたとばかりに、その2日後には出席の返事がFAXで届きました。徐々に出席の返事は増え、最終的に参加表明は45名(1名は参加費のみの参加)となり、「大」同窓会と言って良い体裁になったと一安心しました。しかし、それもつかの間、8月24日が近づくにつれ、コロナ感染の増加、直前の地震、さらに台風など「大」同窓会開催に対する不安要素満載でした。しかしながら、それらは杞憂に終わりました。すばらしい青島の天気のもと、同窓会は、8月24日、午後4時から多くの参加者にて始まったのでした。

<受付、近況報告会、懇親会>
当日の参加者は44名(当日1名欠席、1名は参加費のみの参加)でした。44名の内訳は、宮崎県内:18名、宮崎以外の九州内:5名、中国地区:2名、関西地区:6名、東海地区:4名、関東地区:8名、東北地区:1名です。
受付は午後3時30分からでしたが、それよりも早い時間から集まり始めました。受付では、「わからなかった」「変わったな」と言いながら笑顔に変わる光景が続きました。
午後4時から午後7時まで講演会形式での近況報告会、午後7時から午後9時まで懇親会を兼ねた近況報告会でした。途中、全員での写真撮影やこどもの国からの花火打ち上げなどにより中断はありましたが、参加者全員の近況報告は、1人5分以内という制限にて、午後4時開始から午後8時前まで行われました。スライドでの発表もありました。さすがに卒後40年、皆、場慣れして発表はうまく、40年の辿ってきた道を淡々と話されていました。自分の書いた本の紹介や、亡くなった同窓生の在りし日の写真をスライドに出す同窓生もいました。子供にまだまだお金がかかるため仕事を頑張らなければと言えば、会場から「がんばれ」と声援が飛んでいました。
懇親会では、昔のポリクリグループで写真を撮る人、昔の部活の仲間とラインを交換する人、昔の〇〇荘の話で盛り上がる人など、それはそれは楽しい同窓会となりました。欠席者の近況報告もあり、人それぞれ、いろいろな人生を歩んでいることがわかり、40年の歴史を感じました。
午後9時、閉会とともに、30名近くの同窓生をマイクロバスで、青島から宮崎市中心部に送り出しました。一部はそれから二次会だったのでしょう。翌日は、同窓生同志のゴルフという計画もありました。

同窓会は、いわば生存確認の場でもあります。今回は、物故者が11名でした。学生時代の在りし日の姿を思い出しながら、全員で黙祷を行いました。

次は、卒後50周年の生存確認でしょうか? その時も、元気で参加して、皆の顔を見たいと思っています。 

 【同窓会実行委員】黒木直哉、玉置昇、中津留邦展、波種年彦、松尾剛志、山下秀一

【文責:松尾剛志】