産婦人科 指導医インタビュー🎤

2021.04.30

(左:東先生、中央:指導医 山田先生、右:都築先生)

  山田 直史 先生 プロフィール

職歴経歴 愛知県出身。2005 宮崎大学医学部を卒業後、同附属病院で初期研修終了。
2007 国立循環器病研究センター 周産期部門 レジデントコース
2008-2016 宮崎大学、宮崎市郡医師会病院、県立日南病院 宮崎大学県内関連施設で勤務
2016-2018 Loma Linda University, Lawrence D. Longo Medical Center for Perinatal Biology 研究留学
2019年 宮崎大学医学部附属病院 産科婦人科医局長、総合周産期母子医療センター副センター長
2021年5月現在 教育医長、総合周産期母子医療センター副センター長
医学博士、産婦人科専門医、周産期専門医(母体・胎児部門)

宮崎大学医学部附属病院の特徴をお聞かせ下さい。

宮崎県出身者と宮崎大学出身者が多く占める病院です。県内唯一の大学病院として地域医療の中心かつ専門性の高い医療を提供する病院です。宮崎県は医師数も少なく、そのため自然と一人一人がたくさんのスキルを要求され、担っている医者としての役割、仕事の責任も多いと思います。どの科の先生も力を合わせて一生懸命地域医療に貢献しようと頑張っています。いわば「オールラウンドプレイヤー」プラス「スペシャリスト」になれるのが宮崎大学の特徴ではないでしょうか。そして宮崎大学の農学部、工学部と医学部が共同研究を行っているのも特徴です。地域医療だけでなく地域の産業とも関わりが大きい大学病院です。

山田先生が所属されている産婦人科の特徴をお聞かせ下さい。

当教室では産科、婦人科、新生児科の3分野を皆がトレーニングして専門医に必要な技術・知識を習得しています。先代の現宮崎大学学長の池ノ上 克先生が周産期医療で有名な鹿児島市立病院より宮崎大学産婦人科教授として着任されました。産婦人科医中心に県内の周産期医療を立ち上げ、NICU(新生児集中治療室)を産婦人科医が担当するところが特徴となり、県内の周産期死亡率も低下しました。宮崎県の周産期モデルに関して説明しますが、宮崎県内の産科病医院を主に低リスク妊娠・分娩を扱う1次施設として位置付けています。1次施設でハイリスク症例は2次施設(地域周産期母子医療センター)に紹介され、さらに高度な医療が必要な場合は3次施設である当総合周産期母子医療センターに紹介されています。このようなピラミッド型の診療体制を徹底させることで、前教授(現病院長)の鮫島 浩先生を中心に宮崎県の周産期死亡率は全国でも上位水準で維持してきました。そして今年2月に着任された新教授の桂木 真司先生を中心に、周産期領域、ロボット手術も含めた婦人科領域、生殖医療など幅広い内容が身につくような専攻医プログラムにしていこうと考えています。県内の関連施設は腹腔鏡を中心とした病院、産婦人科救急疾患の多い病院など様々で、充実した研修を受けることができると思います。
宮崎県は医師数に恵まれているわけではありませんが、専門領域を持ちつつ皆が幅広く診療に携わっていくことが必要であり、その結果多くの患者さんに役立つのではないでしょうか。そして分娩に立ち会う産婦人科医は、新生児蘇生のスキルが必ず求められます。赤ちゃんが生まれる際にいるのが産婦人科医です。分娩直後に新生児の状態が悪くなった際にすぐ側で対応できることが大切です。新生児領域を十分にローテーションするので新生児蘇生に強い産婦人科医になることができると考えています。

先生が産婦人科に進まれたきっかけをお聞かせ下さい。

もともとは何となく小児科医になろうと思っていました。小学6年生まで小児循環器の先生にお世話になっていたこともあり、小児循環器医がいいのかなぁと漠然と思っていました。小児科が未来志向であることも影響しているかもしれません。そして小児科と密接に関係しているのが産婦人科であり、生まれるまでの過程をしっかり把握することも大切だと気づきました。産婦人科と小児科と、どちらかと思っていた研修医2年目の時でした。産婦人科の研修4ヶ月目に選択的帝王切開の執刀の機会があり、多くの先生にご指導を受けながら無事に執刀させていただきました。ただ16年前の当時は医局員ではない研修医が執刀するという前例はなく、実は病棟医長の先生が「責任を持つので執刀させたい」と教授に上申していただいたということを知り、非常に心を打たれました。赤ちゃんを自分で取り出したこと以上に、自分が研修医の頃から産婦人科医として大切に育てていただいているということに対して、自分も応えていきたいと強く思いました。自分も役に立ちたいと思ったのが最終的な決め手のひとつかもしれません。そして、この初執刀時の赤ちゃんが成長して、14年後に大学病院で思いがけずばったり再会するとは思ってもいませんでした。
小児科医を目指していた私ですが、どういう訳か産婦人科医になり、結局今は両方の科の要素を持った周産期(産科・新生児科)を主に担当して働いています。産婦人科医であり、新生児科医である、言うなれば二刀流である自分を武器にして「無事に赤ちゃんを助ける」ために、より多くの方々に貢献できるように、これからも頑張りたいと思います。

日々の中でやりがいを感じる瞬間はどんな時ですか。

やはり重症の赤ちゃんが生まれる時です。早産児、ハイリスクなお子さんを無事に分娩させて、新生児蘇生を確実にこなすことが大切だと考えています。
医師11年目には母体救急搬送の多い病院で勤務していました。ある日、切迫早産の妊婦さんが運ばれてきました。切迫早産の原因検索を行う中で、考えなければいけない疾患があります。常位胎盤早期剥離と言われる、胎盤が児の娩出前に剥がれてきてしまうために、母体は出血が増え、児は低酸素となり母児ともに非常に危険になる疾患です。入院後にその疾患を強く疑う状態となりました。夜中に医師・看護師を集め、緊急帝王切開術を準備している中、妊婦さんの横にいた旦那さんから「妻だけでも助けて下さい。」と言われました。「今すぐに緊急帝王切開術をして両方助けます。」と私は答え、皆が協力して緊急帝王切開術にて無事に早産の赤ちゃんを取り出すことができ、母児ともに助けることができました。
緊急手術の3日後にご両親が来られて「先生・・・名前が決まりました。」「先生のお名前から一文字頂いて、直太朗、になりました。」この時まで一生懸命産婦人科医として働いてきましたが、少しは自分が役立てたのかなと強く実感できたように思い、涙が止まりませんでした。産婦人科は緊急性、重症度も高くきつい部分もたくさんありますが、ドラマチックでやりがいがあります。だからこそ頑張れるのではないかと思います。

先生が患者さんとの対応で特に気をつけていること・意識していることをお聞かせ下さい。

まずは患者さんに対して、緊急時にすぐに適切に対応できるように心掛けています。自分は体力にそこまで自信はないのですが、、周産期医療は緊急が非常に多いので、自分自身の体調管理が重要だと考えます。そして妊婦さんがどう思うか、どう考えているのか、つまり妊婦さんの気持ちに寄り添うことに気をつけています。ハイリスク妊娠の管理において、疾患の把握は勿論ですが、ハイリスクな妊娠を継続している妊婦さんの気持ちもしっかりと受け止めて行くことが大切だと思います。産科外来時には特に意識してコミュニケーションを取るようにします。そして無事にお産を終えて欲しいと心から思います。周産期医療の中でもハイリスクの妊婦さんをどう管理していくかも産婦人科医を志す人の興味のでる分野ではないかと思います。

先生は研修時代どのようにお過ごしでしたか?今の研修医を見ていて「ここが違うな、変わったな」という点があれば教えて下さい。

研修医の時代も将来は小児・産婦領域を考えていました。ローテーションも意識して研修しました。研修医になった初日勤務のまさに8時から心肺停止の患者さんが搬送されて、心臓マッサージを何とかするということから私の研修は始まりました。自分は救急的な場面が本当はとても苦手で、できれば後ろに隠れたいと思う人間です。でも、医師になったのだから、苦手を克服しなければと思い、「苦手なら数をこなして、日常的にやっていれば逃げたいと思わなくなるのでは」と考え、初期研修医時代は救急領域や小児、産婦人科領域を中心に回り、小児科時代はひたすら採血、点滴確保を全部させてくださいと申し出たのを覚えています。まさか、今こうして新生児蘇生のど真ん中で勝負するような生活になるとは想像していませんでした。

病院を巣立っていく研修医をご覧になってどう思われますか。また、どんな医師になってほしいと思われますか。

産婦人科を迷っている研修医に関しては、間違いなく感動を味わえる科なので、すごくハードな仕事だけれども充実感を見つけて是非産婦人科医として歩んで欲しいと思います。他の診療科を考えている研修医には、自分の将来の診療科の時に、産婦人科で学んだことを生かせるようにきっちり学んで研修を卒業して欲しいです。
いずれにしても患者さんの気持ちのわかる優しいお医者さんになってほしいですね。

初期研修医に指導をされる際にどのようなことに気をつけていますか。

産婦人科をルーティンで研修する研修医と、産婦人科を視野に入れている研修医との温度差が大きいのが難しいと常に感じます。しかし、視野に入れていない研修医も産婦人科に興味を持ってもらえるきっかけを多く見つけてもらいたいと思います。なぜそれをするのかを考えさせるように気を付けて指導しています。
今回指導医としてインタビューをお受けしていますが、自分も指導医としてまだまだ未熟です。専攻医の先生達と一緒に成長していきたいと日々思っています。症例を通じて共に悩みながら、患者さんの役に立てればと思っています。

専攻医の二人を指導されて、1年前と変わったな、成長したなと思うところがありますか。

1年間で非常に成長したと思います。特に患者さんの状況把握が上手になりました。当教室はチーム制で働いていますが、チームの一員として自分の役目を全うできるようになってきました。つい先日の日曜日も重症の妊婦さんが次々と運ばれてきました。東先生と私で当直対応していましたが、1年前と比較して非常に頼りになりました。ともに戦っている仲間が増えて嬉しい限りです。専攻医1年目は手技も知識もたくさん身につけていかなくてはならないので、プレッシャーを感じてしまいがちな時期ですが、二人とも健康を崩すことなく1年を終えることができほっとしています。

これから専門研修先を選ぶ初期研修医に向けてのメッセージと併せて宮崎大学病院のPRをお願い致します。

宮崎県内の医師数は少なく勤務は大変だと思います。だからこそ医師として一人一人に求められることが多く、責任感も大きいので、結果的にはやりがいにつながると思います。人が少ないからこそ、多くの症例を経験することができ、そして症例の積み重ねが自信にもなり、感性が磨かれ、考え方も幅広くなります。もう一度言いますが、「オールラウンドプレイヤー」プラス「スペシャリスト」になれるのが宮崎大学の特徴ではないでしょうか。
また、とてもアットホームな大学病院ですので、必ずモデルとなる専攻医、指導医と出会うことができます。落ち着いて充実した研修を受けることができ、その良さを十分感じることができます。なお、宮崎大学医学部附属病院を基幹病院として、県内各地の病院で研修が可能です。これも非常に有意義だと思います。宮崎県は温暖で衣食住の環境が良く、特に食事はとても満足度が高いです。サーフィンやアウトドアも楽しみつつ働くことができますので、それも判断材料の一つになるのではないでしょうか。宮崎大学を研修病院として勤務されることを心待ちにしております。