2 基 礎 教 育 等

ドイツ語

【過去5年間の実績等】
1. 講座等の特色
(1) 教育の特色
 日本が様々な分野で世界のトップクラスになった今日では、 受信型の外国語教育は時代遅れと思われるかもしれない。 確かにドイツ語で自分のこと、 日本のことを発信でき、 議論したり、 説得したりすることができるような能力を目標にする教育に転換する必要があるのかもわからない。 しかしながら、 現在の当医科大の状況、 時間数、 クラス当たりの学生数、 学生のモティヴェーションを考えると、 そのような発信型教育はとても不可能である。
 受信型から発信型への転換は、 まずドイツ語科やドイツ文学科で、 さらにドイツ語の教師が多数いる大きな規模の大学で能力別クラス編成や選択制などを採用しながら実行すべきである。 たとえ、 1クラス50人の学生にいくら発信型のドイツ語教育を週に2回行ったとしても、 ドイツ語の時間を離れれば、 ドイツ語で教える他の教科もなく、 また他の日本語による教養科目や専門科目の授業と実習に追いまくられ、 日常生活ではまったくドイツ語を使う必要もないのであるから、 少し時間が経てば殆ど何も残らなくなるだろう。 それよりもドイツの多様な文化遺産や医学、 自然科学、 あるいはドイツ語とドイツの重要性に触れながら、 学生のモティヴェーションを喚起し、 ドイツ語の学習効果を上げる教養主義のドイツ語の方が有効と考える。
 このような観点に立って、 1年生には音読、 暗唱、 練習問題中心のドイツ語教育、 2年生には第1学年で培われたドイツ語能力をさらに高めることを主眼としつつ、 さまざまな教材を通して広い視野と豊かな人間性の養成に努め、 読解力養成、 ドイツ文学体験、 医学用語、 ベートーベンの第九、 スポーツ、 アウシュヴィッツのスライド、 映画、 ビデオによるライン河下り等、 何でもありのドイツ語教育を行っている。
(2) 研究の特色
 文学研究では1999年度のノーベル文学賞を受賞したギュンター・グラス (1927−) の文学を主としてアンガジェの観点から研究する。 その合間に2006年から導入される新正書法に対応する 『新アポロン独和辞典』 の編纂作業の一貫として依頼された 「医療・看護用語」 を執筆し、 『ドイツの都市と文化』 を新正書法に基づいて改訂する。
 ここでは5年間の論文の内容を各年度ごとに述べることはせず、 最後に"Ein weites Feld"研究について若干触れる以外は5年間に行ったグラス文学研究の成果を総括的に述べることにする。
 文学作品で、 また実際の政治活動で黙殺されたり、 あるいは非難されたり、 攻撃されたりしながらも、 絶えず精力的に政治活動を続けていくグラスの姿勢は、 彼自身大きな影響を受けたと公言しているアルベール・カミュの 『シーシュポスの神話』 の、 頂上めざして繰り返し繰り返し岩を運び上げるシーシュポスの姿を彷彿させる。 絶対に岩は頂上にとどまらないと知りつつ、 命の続く限り岩を頂上へ転がし上げていくシーシュポスの行為は、 断念と絶望に対して不死身となり、 たとえ希望が存在していなくても、 文学と実生活の両面においてアクティヴに社会参加したグラスの範例である。
  『ブリキの太鼓』 以来、 常にドイツの歴史はグラス文学の本質的な基盤であるが、 「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮だ」 というテーゼを 「野蛮なのはこの禁令だ、 この要求は人間にとって大きすぎる、 根本において非人間的である」 と考えるグラスは、 敗者、 弱者の視点から現代の中に過去の狂気を嗅ぎ取り、 その歴史的連続性を現在化する。 それは多数の読者、 勝者の習性化した意識を刺激し、 勝者の歴史の背後にあるものを意識化させようとする試み、 つまり 「異化」 の試みである。 したがって、 彼の作品には少年やユダヤ人、 ポーランド人、 女性、 第三世界、 自然環境、 旧東ドイツ人に対する罪が一貫して流れている。
  『ブリキの太鼓』 を凌ぐ5部37章781ページからなるグラスの最新長編小説"Ein weites Feld"(1995)は、 1986年以来インドで抱いていた、 フォンターネに関する作品を書くという構想がベルリンの壁崩壊という歴史的事件によって一挙に具体化した作品である。 作品では壁崩壊後の1989年12月から通貨統合、 再統一、 フリードリヒ大王親子の棺のポツダムへの移送を経て1991年の秋までのおよそ1年10カ月の間に現代ドイツの150年が回顧される。 主人公の、 通称フォンティと呼ばれるフォンターネの風変わりな崇拝者テオ・ヴトゥケはフォンターネの生誕からちょうど100年後の1919年12月30日にノイルピンで生まれ、 ポツダムのフォンターネ文庫館の誰よりもフォンターネに精通し、 フォンターネ風の雑談口調でその著作や手紙、 日記から自由自在に引用し、 フォンターネの時代と現代とを対比するのである。 このタイトル"Ein weites Feld"はフォンターネの"Effi Briest"から取られたもので、 "Effi Briest"では 「その問題は広すぎて論じ始めたら決着をつけることができない」 という意味で用いられる、 問題解決を延期する慣用的表現である。 が、 グラスは 「広すぎて論じ始めたら決着をつけることができない」 というのは欺瞞であると見なし、 問題解決を延期せずこの"Feld"が何であるか、 過去に遡って掘り起こし、 明らかにしたのである。
 グラスが掘り起こした"Feld"は、 ディーター・シュトルツが 「この"Ein weites Feld"の最終章である第37章は 『旧約聖書』 の 「エゼキエル書」 の第37章に通じている」 と指摘する通り、 次のようなものである。 「主の手が私の上に臨んだ。 私は主の霊によって連れ出され、 広い野原 (ein weites Feld) の真ん中に下ろされた。 そこは死骸でいっぱいであった。 主は私を至る所に連れて行った。 見ると、 野原の上には非常に多くの骨があり、 また見ると、 それらはすっかり干からびていた」。 グラスにとって干からびた死骸が無数に散乱している"Feld"こそ、 勝者の歴史の背後に隠れた敗者の歴史を示しているのであり、 この延長線上に再統一後、 旧西ドイツの基準で旧東ドイツのすべての企業、 組織を迅速に情け容赦なく清算し、 何百万人もの失業者を生み出した信託公社も勝者の歴史の一つとして存在しているのである。
2. 共同研究
(1) 学外 (外国、 他の大学等)
 新正書法を採り入れた独和辞典 『新アポロン独和辞典』 の編纂にあたって、 九州大学言語文化部、 福岡女子大学、 山口大学、 佐賀大学の先生方と共同作業を行い、 「医療・看護用語」 を執筆する。
【点検評価】 (取組・成果 (達成度) ・課題・反省・問題点)
 ドイツ語教育に関しては、 この英語万能の時代に、 ドイツ語やドイツ文学の専門家をめざすのではない学生のモティヴェーションをいかに高めてドイツ語を教えるかに腐心している。 教える前に、 そして教えながらも絶えずEUにおけるドイツの役割、 あるいはドイツの優れた文化的、 学問的遺産に触れつつドイツ語教育を行っているが、 この点はまだまだ研究改善の必要があると考えている。
 英語教育こそ、 何より自分を、 日本を語り、 議論し、 説得することができる発信型の教育に転換することが焦眉の急である。 明治以来、 欧米から文化、 技術を導入して日本は先進国の一員になり、 受信型の外国語教育はそれなりに効果があった。 が、 今や世界は英語教育に旧態依然とした外国文化の紹介、 摂取、 異文化理解からの脱皮を要求しているのだ。 そんなものは日本語によってもっと効果的に、 広範囲にできるのである。 英語で世界に向けて発信することができる英語教育が日本における外国語教育の最優先課題である。
 ギュンター・グラス文学の研究に関しては1995年までに出版された短・長編小説のすべてについて一通り考察し終えた。 この点グラス文学研究は順調に進捗していると言っても過言ではない。

【今後の改善方策、 将来構想、 展望等】
 まず拙著 『医学・歯学・薬学・看護学生のための独英和総合ドイツ語』 (全442ページ) を新正書法に基づいて全面的に書き直さなければならない。
 文学研究では、 1996年以降に発行されたギュンター・グラスの作品を研究しつつ、 博士論文執筆を視野に入れ、 グラスの全作品を歴史書を成り立たせている、 フリードリヒ・ヘーゲルの 「世界精神」 (Weltgeist) の 「異化」 という観点から考察していきたい。 「異化」 とは、 人が日常生活の中で当然のことと思って、 意識の中で自動化作用を起こしている言葉、 事物、 イメージ、 考えを自動化作用から解放し、 改めて意識に深く刻み込む方法のことである。 この 「異化」 のため単語、 句、 文のレベルから作品全体に至るまで様々な仕掛けが施されているのである。 「異化」 は、 文学の社会参加を自明のこととみなすグラスにとってきわめて重要な小説技法である。

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