バングラデシュでの唇裂口蓋裂治療
-NGO活動として-

歯科口腔外科学講座 教授  芝   良 祐 

バングラデシュという国について

 バングラデシュは、ヒマラヤ山脈の雪解け水を集めてベンガル湾に注ぐガンジス川(ガンガ川)とブラマプトラ川の合流した河口のデルタ地帯にあり、国土の大部分は海抜1m以下の低地である。雨期になると網目のように分岐したこれらの河川がことごとく氾濫し、国土の約3分の1は水面下に沈む。国の広さは北海道と九州を合わせた程度であるが、そこに日本と同じ約120,000,000人もの人が暮らしている。


水没した田園風景

 同国は、1947年以前は大英帝国の植民地であったが、第二次世界大戦後にインドが独立したときはその一部をなし、次いで宗教の違いからパキスタンがインドから独立したときは東パキスタンと呼ばれた。そして、1971年にようやくパキスタンから独立した。このように、政治的には二重三重の支配を受けてきた国で、バングラデシュとはベンガル語を話す人々の国という意味だそうである。
 この国と国民は著しく貧しく、健康保険制度がなくて大部分の患者は医療費の支払い能力がない。一握りの金持ちの人々は、病気になれば近隣のインドやシンガポールに行って治療を受け、その他の大部分の人々は自然治癒を待つのみである。そのため、都市部以外では医師や歯科医師は収入源に乏しく、医療そのものが育ち難い環境にあるのは大変不幸なことである。

われわれの活動について

 私がバングラデシュを初めて訪れたのは1995年8月であった。当時、同国から当教室に文部省国費留学生として留学していたDr.Omarからバングラデシュにおける医療の現状を切々と訴えられていた。丁度そんな時、山形大学医学部整形外科の渡辺好博教授からダッカ市に医療援助で行くが協力してくれないかとの誘いがあり、自弁でその医療援助隊に加わった次第である。そこで、唇裂口蓋裂患者の多くが、まったく手術を受けることなく、子供も大人も放置されている現状に直面した。その時、ダッカ大学歯学部病院口腔顎顔面外科のHuq教授とMolla助教授から、唇裂口蓋裂患者の治療とダッカ大学歯学部のスタッフの教育のため、毎年継続的に同大学に来てほしいとの要請を受けた。翌年から毎年Dr.Omarを伴って赴き、同大学で手術やセミナーを行ってきた。


セミナー風景

 1997年以降は、NGO団体である日本口唇口蓋裂協会から援助を受け、九州大学及び北海道大学の各歯学部口腔外科の人々とチームを組んで毎年約10日間ダッカ大学に赴くことにした。2001年1月には、本学麻酔科の鈴木宣彰講師にも同行を願い、術中の麻酔管理と現地麻酔医の指導に当たっていただいた。


手術室風景(術者は筆者、右端の麻酔医は鈴木講師)

 毎年われわれが行くたびに新聞報道を通じて400〜500人の患者が集まるが、それを選別してさばくだけでは焼石に水で、あまり進展が望めない。そこで、1998年からは方針を変更して、われわれが執刀する症例を減らし、逆にダッカ大学のスタッフに執刀してもらう症例を増やしていった。即ち、われわれが彼等の手術に付いて直接指導することにより、手術ができる口腔外科医を育てようとした訳である。最近になってその効果が少しずつ表れ始め、もう一息で完全に任せられる口腔外科医が数人は育ってきた。実際のところ、われわれがバングラデシュに滞在するのは毎年約10日間だが、その間いくらがんばっても手術できるのは高々10〜15人である。それに比べて、現地スタッフは常時手術できるので、はるかに多くの患者の手術ができるはずである。
 ちなみに、この国では国立大学病院での治療費および入院費は無料である。但し、術前検査の費用、手術に用いる針、糸、替刃メスなどの材料費、薬剤費および食費は患者負担である。そのため、手術の前に必要な材料や医薬品は購入しておいてもらい、手術の途中で縫合糸などが足りなくなると、患者の家族にたのんで病院の前の薬局店で追加購入してもらうことになる。しかし、そのことを知ったのは最初の年の最後の日であった。それ以来、われわれが赴く時は手術器具はもちろんのこと、手術材料や抗菌薬は持参することにしている。また、われわれが手術などの医療行為を行うときは、事前に医師または歯科医師免許証をバングラデシュの厚生省に送付して許可を得なければならないが、その手続きに通常3ヶ月以上もかかる。しかし、コネを使うと1か月位で許可がおりるのもこの国らしいところである。
 ダッカ大学歯学部病院での手術以外にも、Pioneer Dental College(私立)、City Dental College(私立)、Red Crescent Hospital(赤新月社病院)、Bangabandhu Medical University(国立)、National Cancer Institute(国立)など主な大学や病院や研究施設でセミナーや講演会を行ってきた。2002年1月に九州大学の人々と行ったときは、Badruddoza Chawdhury大統領を同官邸に訪問し、われわれの活動を報告するとともに国立大学病院の施設整備を訴えた。同大統領は内科医でもあり、若い頃に阪大病院を訪れたことがあるとのことで、われわれの訴えにも理解を示してくれた。
 今年1月には、ダッカ大学歯学部口腔顎顔面外科との唇裂口蓋裂に関する共同研究のため、本学学長経費から援助を受けて再びダッカ大学を訪れた。同大学病院で7名の手術に立ち合い、スタッフの手術指導も行ってきた。行く度に、ダッカ大学口腔顎顔面外科のスタッフの技術が向上し、ダッカ市内の風景が変化してゆくのを見るのは大変楽しいことである。



大統領(中央左側)との会見


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