シェリング医学思想における有機体概念

─興奮性概念を主軸とする疾病理論をめぐって─

板井孝一郎




はじめに

一般の医学史書を紐とけば、必ずと言ってよいほどシェリングの名が登場する。ただし常に「悪役」として。シェリングを代表とするドイツ・ロマン派医学は「医科学のロマン主義的な逸脱」と揶揄され、その有機体に対する考え方は神秘的な「生命力」のようなものを想定する生気論に他ならないとされる(1)。しかし、医学研究に対する彼の足跡を当時の生理学との影響関係を視野に収めながら丹念に辿っていくと、決して「生気論者シェリング」というレッテルを貼るだけで済ますことはできない。

第一節では、当時のドイツ医学界が機械論と生気論の間を彷徨い混迷をきわめていた中で、シェリングの医学思想が何を課題としていたのかを明らかにしていく。

第二節では、シェリングの有機体概念に認められる生理学者C・H・プファフとの影響関係を、「合成された概念」として興奮性を把握する理論的視点に焦点を絞って提示する。

第三節では、シェリングの医学思想が彼の自然哲学とどのような関係があるのかについて、特にキールマイヤーの力動的自然展開論との関連を踏まえながら明示する。

第四節では、均衡的バランスという観点から把握されたシェリングの興奮性概念がどのような論理構造をもった哲学的概念なのかを、彼の疾病概念との関係において明らかにする。

第五節では、病と健康に対するシェリングの医学思想を、ベクトル的合成概念として把握された興奮性概念の観点から明確にする。

最後に、こうしたシェリングの有機体概念に支えられた医学思想が、現代医学に対してどのような示唆を提示しているのかについて、若干述べてみたい。


1. シェリング医学思想の哲学的課題

ガレノスの体液説に基づく生理学が崩壊して以来、古い生気論の考え方は消え去っていたが、ハーヴェイの血液循環説以後の新しい化学の研究と結び付いた生気論が登場した。それは、ドイツの化学者にして医師であるゲオルク・エルンスト・シュタールのもとに誕生した。彼はヨハン・ヨアヒム・ベッヒャーの「燃える土(terra pinguis)」を継承し、それを「フロギストン」と再命名したことは有名である。これは物質が燃焼するときに関係すると考えられていた仮定上の物質である。有機体に特有な生命現象には、物理法則にも、化学法則にも支配されない独自の原理があると考え、ある種の「生命力」のようなものを想定する立場が生気論である。

 現代医学の立場からすると、この生気論の立場ほど非科学的で支持し難い理論はなく、シェリングの自然哲学的医学もまたこの立場に立つものとみなされてきた。しかしそれは誤りであると言わねばならない。シェリングの自然哲学的医学に端を発するドイツ・ロマン派医学の試みを、人体の有機的生命諸現象を物理・化学法則に還元しようとする医学の機械論化に対する「ロマン主義的反動」としてのみとらえるのは誤りである。シェリングの医学・生理学研究に課せられていた課題とは、それまでの物理医学派や化学医学派の成果を否定することでもなく、かといってある種の神秘的エネルギーのような「生命力」に逃げ込み、生気論を復古することにあったのでもない。結論をやや先取りするならば、シェリングの自然哲学的医学の目指したものは、有機体の生命現象をできるかぎり物理・化学法則に依拠したものとして把握しようと努めつつ、しかしそれらに還元することのできない生命のまさに有機的諸現象を、生気論とは異なった仕方で捉えようとすることにあった。

 十八世紀の終わりから十九世紀のはじめにかけて、ドイツ医学界は客観的な妥当性を保証する「学的」原理を失うことによって危機に陥っていた。当時の医学界では、複雑な人間的諸現象を説明する原理として、時にはラディカルな機械論に偏向するかと思えば、また反対に生気論的原理へと逃げ込んだりするという両極端に陥っていた(2)。このような混迷した事態を収拾する理論として当初脚光を浴びたブラウンの興奮理論に基づく医学も、アヘンやアルコールの行き過ぎた使用による死者が多数にのぼるにつれて、その権威を失っていった。しかし後に詳しく見るように、そもそもブラウンの興奮性(incitabilitas)概念は、決して客観的な妥当性をもつ原理とはなりえないものだった。それはシェリングが生理学者プファフから理論的刺激を受けつつ鋭く批判していたように、ブラウンの言う興奮性とは、「経験の彼岸で」「超自然的に」「超身体的に」そして「超感覚的に」存在するものであったからである。そのために臨床の医師たちの間で、ブラウンの興奮理論に基づく医学説には猜疑の眼差しが向けられるようになり、医学の学としての基礎づけはますます混迷を極めた。シェリングの自然哲学に基づく医学・生理学研究は、トルナーの言葉を借りるならば、まさしくこうした「混迷した事態を収拾する解放の医学哲学」(3)だったのである。


2. 生理学者 C・H・プファフによるブラウン興奮学説批判

エディンバラの医師ジョン・ブラウンは、彼の師匠ウイリアム・カレンの生気論に基づく神経病理説とは違う学説を提唱した。カレンの神経病理説では、神経の働きが正常であると身体は健康であるが、刺激によって神経の力が通常より強くなったり弱くなったりすると、痙攣や麻痺状態が起こるとした。ブラウンは基本的にこの立場を継承しつつも、刺激に応じて興奮することが生物の基本的特徴であると位置づけ、刺激を外から来るもの( 寒暖、食物、空気など)と、内におこるもの(血液、体液、精神作用) とに分け、興奮しすぎているときは鎮静剤を用い、その逆の場合は興奮剤を与える。適度の興奮が保たれている時が健康で、それが減退したり過剰になったりする時が病気であるとする。彼は治療法として、興奮性をコントロールするために主にアヘンとウイスキーを多用し、彼自身そのために死んだと言われている。

 本国スコットランドではほとんど受け入れられなかったブラウンの興奮理論は、ドイツとイタリアで大反響をおこした。特にM・A・ヴァイカルトによるブラウンのドイツ語訳が一七九五年に出版されて以来、それはドイツ医学界を席巻した(4)。シェリング自身は、ヴァイカルトによるラテン語原文からのドイツ語訳(Gruendsaetze der Arzneilehre)だけでなく、プファフによる英語版(一七八七年)からのドイツ語訳(John Browns System der Heilkunde)を読んでいた。また、プファフのもうひとつの著書『動物的電気性と被刺激性について』(一七九五年)からも重要な示唆を得ている。

 プファフによるブラウン批判の要点は次の二点である。第一に、ブラウンの興奮性概念においては、生命力が作用する必然的な条件となるある原理が求められることになる。その原理は、有機体の生命性を維持するために使い尽くされてはならず、「再生と復旧(Erneuerung und Wiederherstellung)」がキーワードとなる。ところがブラウンはこの原理を何か他の力や、エネルギー貯蔵庫のようなものから生じると考えてしまっているという批判である。第二に、その原理を考察するに際しては、刺激という表現に還元できない「新しい関係への伝播・伝導」(PA,275)を視野に入れなくてはならない、ということであった。

 つまりプファフによると、ブラウンの興奮性概念では、その根本原因を説明することができないし、しかもその興奮のためのエネルギーを刺激によって使い果たしてしまったとするなら、そのエネルギーの供給はどこからなされるのかが不明であるばかりでなく、結局はある種の神秘的な「隠された性質」(Qualitas Occultas)に逃げ場を求めざるをえなくなるというのである。プファフによれば、このために必要とされる力には、ある「源泉」が要求される。その源泉とはもはや刺激に還元されえない。しかし、プファフはこの時点ではまだこの源泉を自分では解明することができないでいた。後にプファフは、ブラウンの体系に関するコメンタールの第三版を一八〇四年に出版し、それまでの二つの版とは異なった「ひとつの新しい批判的論究」という視点から書き起こしている。プファフは、このブラウンの体系に関するコメンタールの第三版を、「ブラウンの体系の根本原則の、とりわけ興奮理論に注目することによる改訂版」と名づけ、ブラウンの著作の三二節、および二三七節において展開されていることに関連して、プファフは「興奮性の再補充といういかがわしさ」(die Fragwuerdigkeit des Wiederersatzes der Erregbarkeit) を暴いている。

 「こうした興奮性の再興・復旧という観点からでは、生命諸現象をまったく不十分にしか説明できないし、あらゆる諸症状を伴っている重病患者が、完璧に健康を回復することも説明できないだけではない。 まったくわけのわからない生命力を完全に否定しさるということも、生命に対する一面的なブラウン的観点からはまったく出てこない。なるほど確かにブラウンは、刺激を取り込むことで興奮性を蓄え、そして興奮性は諸器官の(もちろん相対的にでしかないが)休息中に再び回復されるという一般法則を立ててはいるけれども、この法則はさらなる証明を必要としている。」(PC,55f)。

 プファフは、自分では成しえなかったこの「証明」が、シェリングによってなされたとみなしており、特にシェリングの『世界霊』における次の表現に注目している。

「生命的存在においては、諸機能の段階系列が生じているということは否定しようのない事実なのだから、自然は動物的プロセスに対して刺激反応性を、刺激反応性に感受性を対置しているのである。それゆえ、そこには諸力の拮抗作用(eine Antagonismus der Kraefte)が発生している。この拮抗作用においては、相互に均衡的バランスが保たれており、それゆえ、一方が上昇すると他方が下降し、またその反対にもなり、こうしたことから次のような考えが導き出される。すなわち、あらゆる諸機能は、あるひとつの同一の力が分岐したものであって、そこから個々の諸現象が出現してくる生命の根源として把握せねばならないような、何かただ一つの自然原理があるのだという思想である。・・・とりわけこの理念は、有機的諸組織の系列の中で、有機的諸力のさらなる発展的展開を考察することで確証を得る。この点に関して、私は読者にすでに一七九三年に行われたキールマイヤー教授による講演を挙げておきたい。この講演によって、自然史全体のエポックに新時代が加えられることは間違いないだろう」(II,618f)。

 シェリングは、プファフによるブラウンの興奮性理論に対する批判から理論的刺激を受け、次節以降で詳しく見るように、『世界霊』や『第一草案』の中で興奮性概念を「生命の原理」として展開し、それを有機体の形態形成の根拠として考察したのだった。


3. シェリング医学思想における二つの問題領域

シェリングの医学思想は、彼の自然哲学と分かち難く結びついている。では、自然哲学という領野においてシェリングの医学思想はどのような位置付けを得ているのか。シェリングの有機体概念に基づく医学思想は、相互に関係しあう二つの問題領域から成り立っている。第一は、キールマイヤー(5)の比較生理学からの強い影響下で構想された「全自然史における段階系列(Stufenfolge)」論であり、第二は、ブラウンの興奮学説に基づく医学理論を批判的に摂取することで出来上がった「有機体の興奮性を中心軸とする疾病概念」である。

 まず、当時シェリングもその理論をほぼそのまま継承したとされる、キールマイヤーが一七九三年に提唱した有機体機能特性論の要点を見ておこう。キールマイヤーは、有名なフランスの比較動物学者キュヴィエをはじめ、ドイツ国内でもゲルトナーやオーテンリース、そしてヨハネス・ミュラー等、当時の数多くの優れた生理学者、解剖学者などに影響を与えているが、彼の名を確実なものにしたのが、一七九三年二月十一日、カール大公の誕生日に行った「有機的諸力間の関係について」という講演であった。ここで彼は、ハラーによって定式化されていた三つの機能特性を継承し、さらにそれらの間に法則性があることを主張した。彼によると三つの特性のうち特に感受性と刺激反応性は、人間から生物の段階を下降するにしたがってその多様性は減少し、植物に至っては限りなくゼロに近づくから、そこには正比例の関係があると言う。また産出力に関しては、同じように生物の段階を下降するにつれて繁殖力(産出力)が増大するので、先の感受性と刺激反応性との間で反比例の関係が成り立つとする。シェリングはこの説を受けて『第一草案』の中で、三つの間の比例的関係について論じ、さらにこのキールマイヤーの着想をもとに有機的自然の力動的展開論を構想している。

 問題の箇所は第三章「有機的自然と非有機的自然との相互規定」に現われている。詳しくみる余裕はないが、その第二節にあたる「個々の有機体の機能の被刺激性という概念からの演繹」において、「興奮性(Erregbarkeit)は、二重性を前提とする・・・(その二重性とは:筆者)有機的な活動性の源泉としての感受性と・・・こうした活動性の条件としての(ガルヴァニズムにおける)刺激反応性である」(II,155-157)と述べ、さらに機能特性の最後の三つ目に関しては「産出力(Produktionskraft)」及び「形成衝動(Bildungstrieb)」という言葉を用い、その言葉に続けて「内分泌、成長、動物的本能一般、メタモルフォーゼ、生殖衝動」という言葉を羅列してつなげている。

 一八〇〇年の『体系』でも、第三章の「第二画期、産出的直観から反省まで」の節の「有機的なものの演繹」を論じた箇所では、「この法則に関しては、それを提示し、それを証明したキールマイヤー氏による有機的諸力に関する講演を指し示さねばならない」という断り書きがなされた上で、「もしも有機体の系列を上へと上昇していくなら、感官が次第に有機体の世界を広げていくという順序で発展していくことに気付くだろう」(162)と述べ、キールマイヤーが主張していた生物の段階が上昇するにつれて感受性と刺激反応性が正比例してその度合を強めていくことを、彼なりの言葉で表現しているのを確認できる。シェリングはさらにこの後で、「生命の根本性格は、生命が自分自身へと還り行き、確固たるものとされ、そしてある内的な原理によって保持された継続的生起なのだという点にこそあるのだ」(166)と述べ、また「生命とは、自然経過に対する絶えざる戦いにおいて、言い換えるなら、その同一性を自然経過に対抗して維持しようとする努力において考えられなければならないのだ」(166)とも述べている。シェリングにとって有機体とは、「自己自身へと還帰(反省)し、かつ外界との拮抗関係にあってこそ自己の同一性を維持しようと絶え間なく努力する存在」として定義付けられている。

 とりわけ形態形成力としての形成衝動及び産出力という概念は、当時の生理学および医学にとっては、まさに画期的な概念であった。この力は、たしかに物質的な基盤から切り離されて存在するものでは決してないが、しかしそれでもなお、物理・化学法則に単純に還元してそこからだけで説明できる原理ではないものだと、シェリングは考えた。ここでわれわれが注意しなければならないことは、形成衝動という原理を生命に認めること、そしてその原理が身体の物質的諸連関に基盤をもち、そのゆえに物理・化学法則に従って機能していることを認めながらも、なおそこにはおさまらない生命の能動性・主体性を想定することが、そのままただちにオカルト的な生命力を呼び起こすことに直結するのではないということである。もちろんシェリング自身も、機械論的な身体の機能原理と、なんらかの目的論的原理を融合して整合的に提示するということが、非常に困難な作業であることを自覚していた。

「したがって私は以下のことを主張せざるを得ない。すなわち、あらゆる有機的な自然理論にとって唯一真実で真性の原理というものは、・・・生命というものが、絶対的な受動性のもとにあるのでも、また絶対的な能動性のもとにだけあるのでもなく、生命とは、超自然的な法則によってではなく、ただ物理的・化学的なポテンツをより高度な次元へと高めた産物、あくまでも生命諸現象を支配する自然諸力の法則にしたがって産み出されたものなのだ。」(III, 90f)

こうした困難さを自覚しつつ、彼は「興奮性」という概念を軸に、さらに自らの医学思想を洗練していく。


4. シェリング医学思想における<興奮性>概念の特性

すでにプファフについて述べたところで検討したブラウンの概念である興奮性(incitabilitas)は、ギルタンナーによって被刺激性(Reizbarkeit)と訳されてしまうことにともなって、重大な誤解が生じたとシェリングは考える。この概念は、受動性の原理である感受性(Sensibilitaet)と、能動性の原理である刺激反応性(irritabilitaet)という相反する二重の原理を相互に内包する概念という意味で、<興奮性(Erregbarkeit)>と訳される必要があるとシェリングは強く主張する。前節で検討した生理学者プファフは、このシェリングの興奮性概念における総合的二重性をうまく捉えて次のように述べている。

 「シェリングは興奮性を演繹し、興奮性を合成された概念(eine zusammengesetzten Begriff) だとしている。したがってわれわれは、興奮性には二つのファクターがあることを見落としてはならない。すなわち、まず第一のファクターは、活動性のエネルギー(Energie der Thaetigkeit) であり、これは有機体を外的自然からの作用・影響に対立、対峙させるエネルギーで、作用能力のことである。第二のファクターは、外的自然の作用・影響に対する受容性、すなわち刺激に対する感応性である。この二つのファクターは互いに反比例の関係にあり、このことは、シェリングが興奮性を演繹したことによって十分に証明されている」(PC, S.18.)。

 シェリング自身はブラウンを批判しながら、この点に関して次のように述べている。「この(興奮性という:筆者)概念は、外界からの刺激を受容する有機的な活動性であると同時に、また反対に、外界に向かって働きかけるという能動性でもあるのだ。ブラウンは、こうした二重の意義を導き出すことなく、無思慮に興奮性という概念を使っていたのだ。」(III,153)

 興奮性という概念は、シェリングの疾病理論にとっての中心概念である。興奮性とは、外界からの刺激に対する有機的個体の反応性を表す総合的な概念である。病とは、個体が環境からの刺激に対応する中で、内的均衡を崩してしまった場合に生じる、有機体と環境との間の相互規定的概念なのである。興奮性とはそれゆえ、外界からの刺激に対して個々の有機体が自らの適切な内的均衡を維持するために反応する能力を指す。しかし、何度も注意を促すことになるが、ブラウンが陥ってしまったように、健康と罹病との関係を、有機体と環境との間の単純で一方向的な関係として捉えてはならない。

 では、いったいシェリングにとって病とは何なのか。この問いに対する哲学的な解答こそ、シェリングの疾病概念を理解するための最も重要な鍵を握っている。混迷していたドイツ医学界が直面していた多くの困難な問題の中でも、最も重要なもののひとつが、なぜ個々の有機体は普遍的な有機体、すなわち自然へと融解せずに、それぞれ独立自存したまま自己を維持することができるのか、という問いだった。この問題を解決するためには、有機的個体と環境との関係についての新しい定式化が必要であった。しかし、単に有機体と外界との相互作用というカテゴリーだけではまったく不十分なのであって、そこで、有機体には環境との相互関係における固有の物理・化学法則があるだけでなく、そこに解消されない何らかの「生命力」があるのだと考えられた。しかしこの考え方は、先の問題に対する解答としては不毛なものであって、むしろさらなる困難さを呼び起こすだけであった。

 この問題を解決するためにシェリングが注目したまず最初の論理構造が、フィヒテの知識学における自我と非我との間の反対定立的総合作用であった。この自我─非我関係に認められる反対定立的総合という論理構造こそ、シェリングの興奮性概念における二重性の雛型となっている(6)。こうした反対定立的総合作用として把握された興奮性概念によって、個々の有機体の内的均衡性と外界からの様々な刺激との間の相互関係が、「生命力」という曖昧模糊とした概念に逃げ込むのではなく、二つの相異なる方向性をもつベクトルを合成した力動的モデルとして把握される可能性が開かれ、さらにはこの力動的モデルとしての興奮性概念が、有機体が有している受動性と能動性(産出性)という相反する二つの性質を統合して理解する道を開いたのである。

 「有機体とは、外部諸力からの不断の影響のもとでのみ存立しており、有機体の本質とは、能動的であるような受容性において、また受動的であるような活動性においてのみある。活動性と受容性という両者は、興奮性(Erregbarkeit)という総合的な概念のもとで把握されなくてはならない。したがってこのことは、有機体における根源的な二重性(urspruengliche Duplizitaet)ということなくしては考えることのできない事態である。」(III, 222f)

こうして有機体とは、いわば外部環境へと「開かれた閉鎖系」あるいは「閉じられた開放系」とでも表現すべき形容矛盾で把握され、しかも通俗的な生気論のような曖昧な概念に逃げ込むのではなく、自己の自立的自存性を失わず、なおかつ外界からの刺激を受けとめ、それに反応するという論理構造をもった哲学的概念となった。こうした反対定立的論理構造を内含した概念として興奮性が把握され、この興奮性に基づいて理解された有機体概念によってはじめて、なぜ個々の有機体が、環境からの刺激にダイレクトに影響を受け、その結果自らの形態を直ちに変容させてしまったり、時には破壊的損失を被ったりすることなく、有機体の内的均衡を自らコントロールするという機能を促進するように働いているのか、というメカニズムを、文字どおりメハーニッシュに(単純機械論的な一方向的関係として)ではなく、ディナーミッシュに(ダイナミックな双方向的関係として)理解することが可能となる。


5. シェリングの疾病概念と健康観

再度確認することになるが、シェリングにおける興奮性という概念は、二つのファクターから成る合成概念である。第一は、外界からの刺激を受容するという受動的な要素、すなわち感受性であり、第二は、その刺激を感受した度合いに適切に反応し、自らの主体的行為へと変換する産出的・能動的な要素、すなわち刺激反応性である。病が引き起こされるのはこの二つのファクターのバランスが崩れた時であって、例えば現代医学のアレルギー性疾患やストレス性疾患などは、まさしくこの状態を捉えている(7)。

ただし、ここで注意しなくてはならないのは、そうした不均衡状態が外部刺激に対して盲目的・機械的に有機体が反応した結果として生じているのではなく、有機体内に固有の均衡的バランスの調整という有機体自身の主体的・能動的活動性の結果として生じていることである。たしかにこうした反応は、外界からの刺激に触発され、それが原因となって起こっている事態である。しかし、それはあくまでもキッカケに過ぎないのあって、有機体はその刺激に対してどこまでも盲目的に付き従っているのではない。このように理解してしまったのが、ブラウンに他ならない。

 外界からの刺激に対して適度に反応するためには、まさに適度な興奮性が必要とされるのであって、そのためには受容性と能動性(産出性)との間のバランス良く調整された状態が、有機体の側で主体的に産み出されなくてはならない。もしも刺激の方が強すぎて、受容性の方が過剰になり、産出性の方が弱まり過ぎている状態になると、それは「虚弱状態(Asthenie)」ということになる。その反対に、受容性が弱まり、環境に対して過剰に反応し、産出性の方が強くなりすぎると「過剰興奮状態(Sthenie)」ということになる。これが病という事態の基本原理であり、シェリング疾病概念のポイントである。

したがって、病とは有機的個体が外界からの刺激に適応しようとしている試行錯誤の産物なのであって、あたまごなしに「本来あってはならない根絶されるべき事態」とはみなされない。もちろんシェリングにとって罹病状態が望ましいものとみなされていないことは当然のこととしても、むしろ病とは生命にとって不可避のプロセスであって、根本的に健康状態と敵対する概念ではないのである。

 こうしてはじめて「病とは何か」という問いに哲学的に答えることが可能となる。シェリングにとって病とは、興奮性の可変という事態がもたらす有機体の適応状態のプロセスのひとつであって、この意味において、病とは生命にとって不可避のモメントであり、それゆえに「健康とは病気ではないこと」というテーゼは病に対する哲学的無理解に由来する表現でさえあることになる。

 ブラウンの興奮理論をプファフから受けた理論的刺激に基づいて批判的に摂取したシェリングによって再定義された<興奮性>概念は、まさに生態学的カテゴリーとして再誕生したといっても過言ではない。ブラウンのもとでは単に量的にのみ定義され、一方向的・盲目的な機械的反応として理解されてしまっていた興奮性概念は、シェリングによって質的なダイナミズムの様相を付加されることによってはじめて、二重のファクターを内包したベクトル的合成概念として把握されるに至った。

 ではいかにして、また何故そのような疾病の原因となる不調和が生じるのか。そしてまた先にみたような虚弱状態や過剰興奮状態といったような種々の疾病形態がどのようにして、また何故生じるのか。こうした問いを解く鍵もまた、有機体における興奮性と産出性との結びつきをどう理解するのか、という点にある。

個々の有機体は、自分自身の恒常性を同化と異化、そして組織再生といった諸機能を通じて維持している。したがって通常、健康な状態と言われる興奮活性度にとっては、有機体自身の円滑な自己再生というものが必要不可欠なのであって、虚弱状態や過剰興奮状態というものは、有機体の組織再生に関わる産出性がうまく機能していないという不調和の状態を言う。それゆえ病とは、こうした有機体の組織再生に関係する産出性の異常、先に見たキールマイヤーの表現に従うなら、リンパ液等の分泌を担う「内分泌力(Secretionskraft)」の障害ということができる。シェリングはこうした事態を、有機体の産出力の機能不全、内分泌系の異常と把握し、こうした不調和を経験的・実験的に解明する必要性を否定しなかったばかりではなく、むしろそれを積極的に支持してもいた。

 しかし最も大切なことは、こうした器官的な機能不全や状態異常を単に生理学的にだけ追求しようとするあまり近視眼的「実験科学」に埋没し、まさに「病を見て病人を見ず」という事態に陥らないように、という警鐘としてシェリングの哲学的洞察を読む必要がある、ということである。これまでも強調してきたように、産出力の機能不全や内分泌系の状態異常という生理学的特性は、あくまでも生体の内的均衡性という有機的バランスの喪失という事態に起因するものであり、しかも外部環境と有機体とのダイナミズムを前提としているのだという哲学的洞察が重要である。シェリングが言うように、「有機体がそこに存在する、という事態は、ただそこに『ある』という静的な事態を言うのではなく、常に自己を新しく再生し続けるという変転を通じて恒常性を保っているという動的な事態を言うのである」。(III,222)


おわりに

医学が経験的・実験的科学であろうとすることは、有機体の本質を解明する上で欠くことのできない重要な要素であることは疑いのない事実である。しかし特定の病因を探ろうとするあまり、細分化された器官的諸要素にのみ目を奪われ、「機能」というまさに特定の要素に単純には還元することのできない有機体内部と外部環境との間のダイナミズムを見落としてしまうことは、病の本質を見誤るばかりではなく、真の医学の「学」としての進展にとっても、大きな障害となってしまう。このことを看取していたシェリングの卓越した哲学的洞察は、今日もまだその意義を失っていないばかりでなく、むしろ、ますますその意義は大きくなっていると言える。病に対するこうした哲学的洞察は、シェリングの自然哲学的医学思想の重要な遺産である。




略号と注釈

PA: C.H.Pfaff, Ueber thierische Elektricitaet und Reizbarkeit, Leipzig, 1795.
PB: C.H.Pfaff, John Browns System der Heilkunde, Kopenhagen, 1796.
PC: C.H.Pfaff, John Browns System der Heilkunde, Dritte, von neuen durchges. Ausg. Kopenhagen, 1804.

*シェリングからの引用はシュレータ版全集によるもので、巻数をローマ数字で、ページ数をアラビア数字でそれぞれ記入してある。

(1)Karl E.Rothschuh,Deutsche Medizin im Zeitalter der Romantik.Vielheit statt Einheit,In:Ludwig Hasler(Hrsg.),SCHELLING: seine Bedeutung fuer Philosophie d.Natur u.d.Geschichte;Referate u.Kolloquien d.Internat.Schelling-Tagung Zuerich 1979,Stuttgart-Bad Cannstatt,1981. Richard H.Shryock, The Development of Modern Medicine, Alfred A.Knopf Inc., 1947.邦訳文献では、シンガー/アンダーウッド(酒井シヅ訳)『医学の歴史 古代から産業革命まで』朝倉書店、一九八五年、およびC・U・M・スミス(八杉龍一訳)『生命観の歴史(下)』岩波書店、一九八一年。また川喜田愛郎『近代医学の史的基盤(下)』岩波書店、一九七七年も参照。

(2)Werner E.Gerabeck, F.W.J.Schelling und die Medizin der Romantik, Peter-Lang, 1995.また筆者によるその書評(『シェリング年報97』第五号、晃洋書房、一一九頁〜一二一頁)も参照。

(3)Richard Toellner, Randbedingungen zu Schellings Konzeption der Medizin als Wissenschaft, In:Ludwig Hasler(Hrsg.),SCHELLING: seine Bedeutung fuer e.Philosophie d.Natur u.d.Geschichte;Referate u.Kolloquien d.Internat.Schelling-Tagung Zuerich 1979, Stuttgart-Bad Cannstatt,1981, S.117.

(4)この点については以下のものを参照。長島隆「ブラウン説とシェリング、ヘーゲル」『日本医科大学基礎科学紀要』第十号、一九八九年。同氏「シェリング「生命」論と医学 ─ハラーとレシュラウプ」『医学哲学医学倫理』第八号、一九九〇年。長島氏の研究は、上記の概念に対して当時の医学史、生理学史を踏まえてきわめて精緻にアプローチしている点で、わが国でも突出した優れた内容を蔵している。

(5) キールマイヤーについては拙稿、板井孝一郎「有機体における三つの機能特性をめぐって ―ヘーゲルによる「シェリング・キールマイヤー説」批判の意義」『シェリング年報98』第六号、晃洋書房、八五頁〜九五頁を参照。

(6) シェリングの興奮性概念における二重性と、フィヒテの自我─非我関係における反対定立的総合作用とを関係づけて考察している優れた論考には、以下のものがある。Nelly Tsouyopoulos, Schellings Krankheitsbegriff und die Begriffsbildung der Modernen Medizin, In:Reinhard Heckmann(Hrsg.), Natur und Subjektivitaet: zur Auseinandersetzung mit d.Naturphilosophie d.jungen Schelling; Referate, Voten u. Protokolle d.II. Internat.Schelling-Tagung Zuerich 1983, Stuttgart-Bad Cannstatt,1985.

(7)シェリングの疾病概念と現代医学におけるストレス性疾患やアレルギー性疾患との関係についても、先述のツーヨプーロス女史による論考が極めて優れている。また、このツーヨプーロス女史の論考をはじめ、シェリング自然哲学研究のドイツでの動向を紹介した松山寿一氏による「シェリング自然哲学の新研究」(松山寿一著『ドイツ自然哲学と近代科学』北樹出版、一九九二年、二五九頁〜二九0頁)は、シェリング医学思想の研究者にとっては必読文献である。またシェリング医学思想と東洋医学との関係、およびバイオエシックスとの関連については拙稿、板井孝一郎「ゲーテ時代の医学思想 ─シェリングの自然哲学的医学を中心に」『モルフォロギア』第二一号、ナカニシヤ出版、一九九九年、九七頁〜一一二頁を参照。


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