宮崎大学医学部・旧宮崎医科大学開講50周年記念にあたり、本同窓会の愛称「篠懸会」の命名者である阪本知子先生から、命名に纏わるエピソードをご寄稿賜りました。
『篠懸』に込めた思い
医療法人 和昇會 阪本クリニック
阪本 知子(旧姓:岩佐)10期生
宮崎大学医学部・旧宮崎医科大学が開講50周年を迎えられたとのこと、心よりお慶び申し上げます。この節目に同校の同窓会の名称である『篠懸』の由来について、名付け親の立場から当時を振り返りつつ、皆様にお伝えしたいと思います。
私とヒポクラテス像との出会いは昭和58年(1989年)3月の入学試験の日でした。ヒポクラテス像の前で、在校生が電報サービスの受付をされていたのです。「ヒポクラテスマネクゴウカクオメデトウ」合格発表の日、大阪で電報を受け取った時、ヒポクラテスが笑顔で手招きしてくれているような気がして大喜びしました。
入学後、「医学の父」と呼ばれているヒポクラテス像には、医師を志す人の心構えとして「人生は短い。学術の道は長い。そして機会は瞬く間に過ぎてしまい、そして経験は頼りがたい。ゆえに判断は難しきものなり」とラテン語で刻まれていると教わり、身の引き締まる思いがしました。
当時、講義棟前は見晴らしがよい広場にポツリとヒポクラテス像だけがありました。毎日、ヒポクラテス像の前を通り講義棟に向かいました。お天気の日はもちろん、雨の日も風の日もヒポクラテス像は私達を見守ってくれました。行事や出かける時の集合場所、記念写真のお決まりの場所でもありました。やがて、講義棟前の広場は整備され、ヒポクラテス像の横にスズカケノキが植樹され、ますます私達にとって大切な存在になりました。
卒業して同窓会に入会後、平成2年(1990年)3月に同窓会の名称を募集する旨の案内を受け取りました。何か良いアイデアはないかと懐かしい母校を思った時、真っ先に頭に浮かんだのが講義棟前の風景、ヒポクラテス像とスズカケノキでした。スズカケノキはプラタナスの木のことで、別名ヒポクラテスの木とも呼ばれています。「すずかけ」はどうだろうと思いつきました。早速「すずかけ」を広辞苑(第二版補訂版 岩波書店)で調べてみると、「①修験者が衣の上に着る麻の衣。深山の篠(すず)の露を防ぐためのものという。すずかけごろも。②スズカケノキ」と載っていました。一生勉強していかなければならない医師にとって、「すずかけ」はまるで白衣のように象徴的なものに感じました。また、「すずかけ」にはいくつかの漢字が使われていますが、第一印象で『篠懸』を選び応募しました。
後日、同窓会の名称として『篠懸』が採用されたとの連絡があり、同窓会誌の創刊号が送られてきました。表紙にはヒポクラテス像とスズカケノキの写真、そして『篠懸』の文字があり大変感動いたしました。その後、『篠懸』は同窓会の名称として定着し親しまれているようでとても嬉しく思っています。我が子が大活躍しているようで誇らしいです。このように、『篠懸』は懐かしい母校を思い出す言葉であると同時に、医師としての自覚を思い起こす言葉でもあるのです。
今回、『篠懸』に込めた思いを皆様にお伝えする機会を与えて頂き感謝しています。卒業して35年が経過しましたが、懐かしい思い出は色褪せず心の中に残っています。スズカケノキは平成17年(2005年)3月に再植樹されたと伺いました。久しぶりに母校を訪れてヒポクラテス像と2代目スズカケノキに会ってみたいと思っています。
宮崎大学医学部・旧宮崎医科大学がこれからもますます発展されることをお祈りしています。それと共に『篠懸』が同窓会の名称として末永く皆様に愛されることを願っています。