Just another サイト 宮崎大学医学部・大学院看護学研究科 site

教授挨拶

  • HOME »
  • 教授挨拶

 

平成12年4月から生化学第一講座に赴任しました森下和広と申します。
スタートしたばかりの研究室ですが、これまでに続けてきました転写因子の転写制御機構と白血病発症の分子機構の解析を中心に、品質の高い研究結果を提出することにより基礎分子生物学及び臨床医学に貢献できる研究室を目指しております。

遺伝子解析および蛋白化学、分子および細胞生物学、マウス分子遺伝学などの様々な実験手法を駆使して、研究課題に取り組んでおります(研究内容を参照ください)。我々の研究に興味を持つ修士および博士課程大学院生を募集しておりますし、また我々の研究成果は臨床応用の可能性を秘めたものがありますので、特に血液疾患や神経疾患、その他一般的ながん及びその他の疾患の分子的解析に携わっておられる方々との共同研究も歓迎したいと存じます(大学院生、共同研究者募集を参照ください。)

宮崎は初めての土地です。 しかし生まれが九州の反対側の長崎県ということもあり、非常に暮らしやすく大自然に恵まれたよい地域です。学内外の皆々様方からの御支援と御指導、今後も宜しくお願い申し上げます。


 

 

 

 

「僕は風に向かって立つライオンでありたい」
 森下和広
 (筑波大学医学専門学群同窓会誌)

我が母校筑波大学医学専門学群には一期生として入学した1974年から1980年までの6年間お世話になりました。そして卒業して28年、こんなことを書くような歳になったのかと感慨深いものもあります。

長崎の田舎の高校から、東京に出たはずが、茨城のこれまた田舎の大学に進学した訳ですが、いろいろなものを学ばせていただきました。学生時代前半4年間はその大半を体育会硬式庭球部とともに過ごし、当時まだ存在していた大塚茗荷谷の東京教育大学キャンパスに、テニス合宿と称してほとんどの休日夏期休暇を問わず通っておりました。
古い校舎、かびた合宿所、ぼろぼろで歴史的な桐花学生寮など古い大学の持つ郷愁にどっぷり染まっていました。ほとんどテニスは素人だったのに、現筑波大監督の山田幸雄、デ杯で活躍した福井烈、現コンフェデ日本監督の植田実などと一緒に合宿していた事を考えると夢のようです。

後半はまじめに勉強し、金もなかったので教科書はほとんど英語原本で通しECFMGなどの受験もやりました。大学で得たのは素晴らしい同級生と恩師です。恩師の中では特に堀原一先生にはお世話になりました。特に卒業時に就職先を決める段階で、相談に乗っていただきました。自分のやりたいことが内科で血液がん・白血病をやりたいと伝えましたところ、東京大学医科学研究所内科の故三輪史朗先生をご紹介していただきました。これが自分の人生を決定づけました。

白血病との出会いは、自分の出身長崎にあります。
長崎医科大学放射線部に居られた永井隆先生は、治療用放射線被爆による慢性骨髄性白血病 (CML)となられ、その後原爆被爆を経験、被爆者の放射線障害の診療・研究に当たられた後、数年の闘病を経て亡くなられています。この話を高校時代に知り、さらに大学時代の勉強を通じて「がん」をやろう、どうせなら一番難しそうな白血病の診療研究をやることを決めました。

卒後研修医となって東大医科研に赴任しましたら、直後に運良くオーストラリアから留学が終わられて浅野茂隆先生(東大教授から現早稲田教授)が赴任され白血病研究治療グループができました。当時関東では白血病に対する骨髄移植はあまり行われておらず、金沢・名古屋・大阪に比べて整備が遅れている状況でした。そのため浅野先生が骨髄移植を病院の看板にすることを考えられそれからみんなで必死に勉強し、自分も医科研での第1例目と第3例目の主治医を務めました。

その後医科研内科は素晴らしい発展を遂げ、現在関東でも有数の骨髄移植病院となっていますが、当時骨髄移植の治療成績はかなり悪く、このままでいいのか悩みました。ちょうどそのころ CMLの原因遺伝子としてBCR-ABL遺伝子が単離された事などから「がん遺伝子」という概念が確立し、原因不明だった急性型白血病においても当然がん遺伝子の活性化があるはずだと考え始めました。そこで当時浅野先生とG-CSFの単離を進めておられた医科研生化学研究室の長田重一先生(現京大教授)にお願いして、臨床をやめ医科研生化学研究室(上代淑人教授)で分子生物学生化学を学ばせていただきました。

G-CSFにより誘導される骨髄系のマーカーであるミエロペルオキシダーゼMPOの精製と遺伝子単離を行い、その仕事で学位を取得させていただきました。上代先生はGたんぱく質研究の先鞭をつけた世界有数の研究者で、長田先生は日本の誇るノーベル賞候補の1人であり現在でもアポトーシス関係で大変活躍されています。

医科研を出まして、1987年からアメリカ国立がん研究所フレデリックにいたJame N Ihle博士の研究室にポスドクとして留学しました。ここで本格的にマウス白血病モデルを使った白血病の癌遺伝子単離の仕事を始め、マウスEvi-1遺伝子を単離しました。直ぐにヒト白血病を解析したところ染色体3q26領域に転座を有するAMLにおいてEVI1遺伝子近傍に転座点が集中し遺伝子の活性化を認め、やっとヒト白血病の原因遺伝子を単離する事が出来ました。この仕事はヒト急性白血病の原因遺伝子単離においてブームの先鞭になるような仕事となり、Cellの表紙を飾る事が出来たのは善い思い出です。

アメリカにはNCIからSt Jude小児研究所病院時代を含め都合6年間滞在し、その間多くの研究者と出会う事が出来ました。現在東大医学部社会医学系の松島さん、医科研感染症の河岡さんなど、よくよく考えると人生の節目節目に非常に素晴らしいヒト、友人、恩師、研究者に巡り合う事が出来ており、それが自分の財産になっている事がよくわかります。

さて、滞米6年を経て、国立がんセンター研究所に研究員として戻って来ました。さらに8年ほどがんセンターではお世話になり、この間筑波の血液内科から後輩の鈴川君、清水君、望月さん、そして筑波卒で東大小児科から滝君が大学院生として来てくれまして、白血病の原因遺伝子をいくつかクローニングすることができました。この頃が研究歴では一番苦しい時で、その時に助けていただいた筑波の血液内科・長澤俊郎先生や、研究費を回していただいた広島大学原医研の鎌田七男先生には心から感謝しております。

そうこうするうちに、そろそろ独り立ちをしないと行けない時期となり、ジプシーの哀しさ、あちこちの教授選挙に応募しまして、やっと何度目かで引っかかりました。旧宮崎医科大学生化学第一教室です。自分は長崎出身なのに宮崎には一度も行った事がなく知っている先生も1人もいませんでした。今考えると良く選んでくれたと感謝しております。そこでまたやれる仕事が見つかりました。成人T細胞白血病(ATL)です。この白血病は以前からずっと気にはなっていたのですが、関東ではほとんど見る事が無く、ATL患者が集中して存在する宮崎に行った事でまたがぜんやる気が起きてきました。

このATLの原因として HTLV-1のウイルス感染が基礎疾患として存在しているのにも関わらず、ATLはその数%しか発症せず、さらにはその発症機構もわからず現在でも有効な治療法もありません。自分は元々ゲノム解析から出発していますので、ウイルス感染以降に付加的なゲノム異常が必ず見つかるはずだと思い、これまでその流れで研究をしております。そしてこれまでに原因と思われる遺伝子異常を4遺伝子見つけており、これらを基礎にした診断法や治療法の開発を進めています。

このように現在では白血病の研究を中心に、他の固形がんの発症機構も臨床の教室と共同で研究を始めました。最近は次第に若い人が増え、なんとなく一研究室らしくなりました。うちの研究室はあちこちの落ちこぼれが集まったような、雑多なしかもそれぞれ特徴のある人間の集団です。研究費を取ってくるのに苦労をしていますが、まあそれでも皆良く頑張ってくれているので、みんなには非常に感謝しています。まだまだやりたい事がたくさんあるため毎日忙しく、また楽しい日々を過ごしています。

教育の方では、医学部学生への刺激も大事なので、筑波で教わった事をベースにしていろいろと自分なりに工夫して講義や実習やチュートリアルなどをやっています。堀先生が「世界に通じる筑波大学にする」という目標を掲げられていたと思いますが、自分も宮崎の片田舎で、うちの学生も世界に通じるような医師・研究者に育つように刺激をして行きたいと思っています。また宮崎に赴任して、柴田紘一郎先生という素晴らしい医師・先達と出会えました。

十数年前にさだまさしさんが彼をモデルとして「風に立つライオン」という歌を作製しました。長崎大学から巡回医療としてアフリカを2-3年ほど巡り診療された事を題材として作られた歌ですが、これが僕らのテーマソングになっています。それで学生達と一緒に柴田先生と企画した大学祭をベースに本を出版しました。その名も「風に立つライオン」という本です。医学生が先輩医師を訪問しインタビューをするというテーマで編集したもので、さだまさしさんを含め諏訪中央病院の鎌田實先生や国際国立医療センターの先生などいろんな話しが出てきます。Amazonで売っていますのでぜひお読みください。

さてつらつらと書き綴ってきましたが、これまで生きてきた上で人との出会いは自分を育て、生きる道を考えさせてくれる大切な指針になっていることを感じています。また、どのような環境の場所に行こうと、その場所で何事にも全力を尽くす事が大事であることを学びました。そして本質的には自分の人生は自分のためのものではなく、世の中のため人のためになるように、自分の仕事を通じて世の中に還元していきたいと考えて生きています。

白血病に出会えて、これからなお13年ほどまだ現役で仕事を続ける事が出来ます。現実問題白血病の患者さんに寄与する所まで来ておらずまだまだやり残した事がたくさんあります。皆さんもどうか大学時代に自分の生きる道を模索し、ご自分の夢を見つけてください。そして卒業してからもずっと夢を追いかけていただきたいと思います。真っ当な道を歩めば、必ず天は助けてくれる、道を作ってくれると感じております。筑波大学医学専門学群の更なる飛躍を念じております。駄文読んでくださってありがとうございました。

平成20年8月
宮崎大学医学部機能制御学講座腫瘍生化学分野教授
森下和広

1980. 3 筑波大学医学専門学群卒業
1980. 6 東京大学医科学研究所付属病院内科研修医
1984. 4 東京大学医科学研究所病態薬理研究部助手
1984.10 東京大学医科学研究所化学研究部客員研究員
1987. 1 Frederick Cancer Institute T細胞白血病研究部研究員
1988. 8 St. Jude Children’s Research Hospital 生化学研究部研究員
1990. 8 同上スタッフメンバー
1992.10 国立がんセンター研究所生物学部主任研究員
1993.11 同上 細胞生物学研究室室長
2000. 4 宮崎医科大学生化学第一講座教授

リンク

PAGETOP