健康情報シリーズ

Hygeia 

                                       (Hygeiaとはギリシヤ神話の健康の女神)
 
 

病理医って?
―病理の現在,過去,未来―
 
 

   

                          2003年 学内の春  
第43号
 宮崎医科大学 保健管理センター  2003.3

病理医って?
− 病理の現在,過去,未来 −

宮崎医科大学病理学第一講座
丸塚浩助


1.はじめに
 本年度から、5年生に対して2週間という短い期間ながら、病理のポリクリが始まりました。あるグループの最終日の夜、実習を終えたばかりの学生さんに“先生方はいつもどこで何をされているのですか?”と質問されてしまいました。現在、本学のカリキュラムでは、3年生での病理学総論・各論の講義・実習、5年生でのポリクリは症例のまとめを中心とした臨床病理実習であり、学生さんとの接点はごく限られた時間・機会しかないため、我々の日々の仕事内容を把握できなかったものだと思われます。来年度からは、3年生の基礎配属と6年生のクリニカルクラークシップが始まり、教室の中に学生さんの活動場所ができるため、我々が日頃何をやっているのか、より分るようになるものと思われますが、医学生でこうですから、一般の方々にとって“びょうりって??”となるでしょう。実際、ある病院に電話した時、“病理部をお願いします”と伝えたのに、(料理部?と思われたのか)厨房に電話を繋がれてしまいました。また、最近、仲間由紀恵演じる元病理医、森沢麻紀が内科医として奮闘する「ナイトホスピタル−病気は眠らない−」なるテレビ番組の中で病理医は、“細胞だけを見て診断を下す。それが病理医だから”とか、“実技は未熟なのに知識だけは持っているため周りから煙たがられる存在”などと、半分本当のような変な認知のされ方をしています。この誤解を解くためにも、保健管理とはほとんど関連ないかもしれませんが、この場を借りて、“病理の仕事”について概説したいと思います。

2.病理学と病理学講座
 病理学 (pathology) とは、字の如く、“病(やまい)を理する学問”であります。“理”という字には、 (1)reason道理・理屈、(2)principle原理、(3)understand理解等、いろんな意味があり、これらを踏まえて解釈するなら、病理学とは、“病気の原因を明らかにし、それによって引き起こされる病気の発症メカニズム、表現、進展、結末に至る論理的な道筋(pathogenesis)を科学的方法により解明しようとするもの”と言えます。病理学的手法としては肉眼的、顕微鏡的観察ばかりでなく、生化学、免疫学的、分子生物学などの方法、あるいは動物実験などあらゆる方法を用いて行われます。そういう意味では、現在の医学系研究はほとんどが含まれることになります。その中でも、病的臓器、病巣のマクロ−ミクロ的な観察により病気の本質について推論するところが病理学者(病理医、pathologist)のもっとも得意とするところです。 
 病理学は基礎医学(解剖学、生理学、生化学)の総まとめおよび臨床医学への橋渡し役、つまり、基礎医学と臨床医学との接点となります。現在、日本の制度では本学も含めて病理学は、基礎医学講座として位置づけられています。その面からみると、仕事の中心は“教育”と“研究”であるはずですが、現状は違います。附属病院で行われる病理解剖、外科病理診断(後述、病理医の仕事)を講座総員あげて取り組んでいます。つまり、病理学の仕事は、“教育”、“研究”、それと、“病理組織診断”の3本柱からなることになります。なぜ、このようなシステムになっているのかを理解するためには、日本および世界での病理学の歴史・変遷を知る必要があると思われますので、病理の歴史について簡単に紹介します。

3.病理学の歴史
 病理学は病気で亡くなられた方の原因を解剖して明らかにすること(病理解剖)から始まりました。これには、16世紀半ば、ベサリウスによる正常人体解剖の正確な記述(De humani corporis fabrica, libri septem通称“ファブリカ”)があったからこそ、正常との対比という観点から病気を知る手立てがあったからだと思われます。この病理解剖による死因解明という過程を繰り返すことによって医学は進歩してきました。すなわち、病気の診断の基礎が病理解剖により築かれ、病気の診断の基礎となる学問として病理解剖学が確立されてきました。それとともに、18世紀になって、ヨーロッパを中心に病理解剖学を専門とする病理学者が生まれ、医学部には病理学講座が置かれるようになりました。17世紀初めに顕微鏡が発明されましたが、病理学領域に一般的に使用されるようになったのは18世紀後半になってからでした。病変を肉眼(マクロ)だけでなく顕微鏡(ミクロ)で観察することにより、病変の種類がもっと詳しく分かるようになりました。これにより、近代病理学が急速な進歩を遂げましたが、ドイツではあくまで顕微鏡という当時の最新の技術を使った実験医学として発展し、その集大成が、ルドルフ・ウィルヒョウ(図1)による細胞病理学説(図2)でした。これは、病理だけに限らず、医学において画期的な変化でした。これを含めて、当時世界的にも医療の最先端はドイツにありました。それゆえか、どうか知りませんが、日本の国立大学における医療体制は、19世紀後半、ドイツから導入され、それ以来100年、病理学はドイツの形態に習って、実験医学と臨床医学の二つが並存、並列した状態にとどまってきました。一方、同時期にドイツ医学を導入したアメリカではより合理的な方向へ分化していきました。診断技術の進歩とともに、生検の病理など治療に反映される病理診断ができるようになり、いわゆる外科病理学(surgical pathology)はアメリカで顕著に進歩していきました。病院を専らの活動の場とする病理学者、病理医が生まれ、そして、外科手術、生検技術の進歩とともに外科病理学は飛躍的に進歩し、病理医は病気の診断に欠くことのできない役割を担うことになりました。ヨーロッパ諸国、ドイツでさえも、それに習い、外科病理学を中心とした病理学へと変化をとげましたが、前にも述べたように、日本における病理学は基礎医学講座に留まり、日本の医療体制は、21世紀の今でも、19世紀のドイツと同じものを引きずっていることになります。この20数年で、日本全国の大学附属病院に病院病理部が設置されるようになってきて、外科病理領域の拡充が目指されていますが、現代の細分化され、高度に発達した臨床医療に対応できるだけのものにはなっておりません。また、逆に、基礎医学講座として、病理組織を全くみない講座が増えています。はじめに述べた病理学の定義・手法からすると当然のことと言えるかもしれません。

4.病理医の仕事
 病理学講座の仕事として、先に述べたように、“教育”“研究”“病理診断”の3本柱があります。次代を担う医学生・研修医等の“教育”および医療の進歩を担う“研究”は、病理医にとってもとても重要なことでありますが、ここでは紙面の都合もあり、“病理診断“についてのみお話しします。
 本学にも数年前に独立した部門として病院病理部が設置されましたが、スタッフ1名(以前から学内措置として、臨床検査技師3名が居られた)では如何ともしがたいものです。病院病理部と連帯し、病理学教室(第一、第二講座)において、附属病院のみならず宮崎県地域の年間約1万5千件、出先機関での診断も含めると年間2万件以上の検体の病理診断を行っております。
 画像診断や遺伝子検査などの検査法が進歩した今日でも特に、がんの最終診断は病理医による顕微鏡検査(病理組織学的診断、病理診断)が担っています。すなわち、“論より証拠”、人間の目に見える形で証拠を示すことができるものということです。胃の内視鏡検査で胃がんと診断するためには内視鏡によって採取した胃の組織を必ず病理医が顕微鏡で診てがんと診断しなくてはなりません。逆に、病理診断でがんと診断されると患者さんに何ら症状がなくてもがんの診断が下されます。これはがんの診断に病理診断が何よりも優先している証でもあります。それだけ、病理医の責任は重いということになります。今の日本の医療システムでは病理医が患者さんを直接診ることはありませんが、患者さんの病気の診断にはなくてはならない役目を負って病理医は病院で働いているのです。また、多くの病気が解明され、画像診断が進歩した現在でも生前の症状はどういう体の中の病変によるものだったか、実際に病理解剖を行うことによって、肉眼および組織学的に確認することは臨床医にとって大変重要なことです。そのため、研修指定病院では一定数の病理解剖をしていることが義務づけられ専任の病理医がいることが望ましいとされています。
 このように、病理医は病理解剖・外科病理を通じて、診療・治療、ひいては患者さんへの利益をフィードバックすることを主な生業とする医師であるということができます。しかし、日本における病理学は基礎医学講座に属し、他の診療科に比べ構成人員が限られており、相対的に小規模・分割的であるため、より学問・研究志向的とならざるを得ません。現在、人体病理学に要求されている領域の広さとその知識の深さから考えると、診療・教育・研究いずれをとっても不十分なものになってしまうかもしれません。それをできるだけ補うために、また、多種多様な現代医学に対応すべく、日夜勉強し、様々な標本を見ることや種々の学会・研究会に参加することによって経験を積む努力を惜しまないようにしています。これは、病理医に限らず、全ての医師に共通することであることは言うに及びません。 
 このように書くと、病理医は様々な疾患・病態に精通しているように思ってしまいますが、人間に起こる種々雑多な病気はそんなに甘いものではありません。ガラススライド上の小さい標本を見ただけで何でもすべて分かるはずはありません。また、人には得手不得手がありますし、興味の対象も人それぞれ違います。すべてに精通したスーパーマンなど、まず居りません。しかし、そのスーパーマンの域に近づくことはできます。ある臓器を専門に人体病理学を行っている人には、その臓器に関する知識・病気を診断する判断力など、我々は到底かなうものではありませんが、それに近づくことはできます。その道に精通するということは、その道の経験と知識が豊富であるということだと思います。医学において具体的には、ある病態をみてどれだけの鑑別診断をあげることができ、その中から真の診断に辿り着くまでの証拠をどれだけ的確に出すことができるかによると思います。多忙な日々における診療・診断においては、“決めうち”的なことになりがちですが、大きな落とし穴にはまったり、足下をすくわれる可能性があります。大きな失敗は即、患者さんの命に関わるものになる可能性さえあります。そのようなことが無いように日々努力しているのです。
 
5.病理のこれから(病理医が少ない!)
 病理専門医になるためには医師免許取得後5年間以上の専門的修練(研修医期間を含んでもよい。50例以上の剖検の執刀)を積んだ上での専門試験の合格が求められています。病理専門医(認定病理医)の数は、先に述べた外科病理学への取り組みの差がそのまま反映され、人口100万人あたりの病理医は、米国67人、英国43人、ドイツ24人で、これに比べて我が国では同比14人と著しく少ない状況にあります。医師全体の割合にしても、アメリカで2.6%であるのに対して、日本では0.7%です。実働している数はもっと低いものと思われます。これは、我が国の医療のなかに病理診断や医療の検証が欠落したままの部分が相当あるという貧困な現実を示しています。医療内容が患者や家族に告知される現代の医療においては、この病理医不足はまさに危機的状況を招きかねないと思われます。
 構造改革が叫ばれる昨今、医療現場でも医療費抑制の重圧が懸かってきています。当大学も統合後すぐに、独立法人化の波が押し寄せてきます。大学も附属病院も一企業となれば、当然、経費・人員削減、不採算部門処理などの一般企業に起きてきたことがなされる可能性が大です。病理部門もどうなるのか分かりませんが、少なくとも次々年度から始まる研修医義務化制度の中でも、病理の重要性が加味されています(研修項目の中に、“剖検報告書を作成できる”という項目がある)。少しずつではありますが、日本の医療体制のなかでも病理学の位置・立場が向上しつつあることは事実です。本学の病理組織検査の報告書の最上段には、“病理診断報告書”と記載されています。検査結果報告書ではなく、あくまで“診断“、すなわち、病理医が責任を持って行った医療行為の報告書であるということです。法律的にはまだ認知されたことではありませんが、それだけ自信と責任を持って病理診断しているということです。
 病理医は臨床医のように華やかではありません。不幸にして亡くなられた患者さん以外は目の前にすることもありません。しかし、正確な診断で、的確な治療方針の指示が出せて、それに呼応して患者さんが病から解放された時は、主治医と同じように喜びに満ち溢れます。少しホルマリン臭いかもしれないけれど、やり甲斐のある仕事だと自分自身は思っています。宮崎県の人口110万人に対し、現在、実働病理認定医13名でまだまだ余裕がありますし、数的にはアメリカのレベルには遠く及びません。これを読んで、病理を志してくれる人が少しでも増えることを切望します。

 

図1 ルドルフ・ウイルヒョウ(元病理医、菅沼教授蔵書より)
 
 

図2 ウィルヒョウの著書(1858年、同図1)


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