健康情報シリーズ

Hygeia 

                                       (Hygeiaとはギリシヤ神話の健康の女神)
 
 

欧米の新しい公衆衛生の潮流
―疾病管理―


       第128回 米国公衆衛生学会(ボストン)


第41号
 宮崎医科大学 保健管理センター  2002.7

欧米の新しい公衆衛生の潮流
―疾病管理―








宮崎医科大学公衆衛生学講座 講師 今井博久

<はじめに>
病に苦しむ人がいる。臨床医がいる。医療施設がある。さて、これだけでよい医療を実践できるでしょうか。もちろん、答えはNOです。効果的で効率的で公平な医療を実現するための医療システムが不可欠です。しかし、このような医療システムを構築することは容易ではありません。現代社会では、健康医療への旺盛な需要、患者中心主義の台頭、医療財政危機の到来などを背景として、医療活動が複雑になりさまざまな問題が出てきています。こうした困難な状況に直面して、近年の公衆衛生学では、広義で言う医療システム、臨床疫学(EBM: Evidence-Based Medicine)、医療経済学、医療技術評価などが積極的に扱われて来ています。特に欧米の公衆衛生大学院では盛んに研究されています。現代公衆衛生学は、かつての疫学を中心とした体系から脱皮してさまざまな科学的手法を取り入れて応用社会医学の道を歩み専門化・多岐化してきていますが、ここでお話するのは、応用社会医学分野で非常にその発展が期待され、地域医療や医療システムに関する最新の研究テーマである「疾病管理(Disease Management)」です。疾病管理は、欧米の医師、保険者、医療政策担当者などが目下、真剣に取り組み、急成長している医療システムで、現在国内においてもいくつかの地域で実験的に取り組まれています。

<1.疾病管理の出現>
疾病管理は、その新しさ故に、何を目的と対象にするかによって若干異なって記述されています。たとえば「疾患の継続性を横軸に、医療提供システムを縦軸に共同的・包括的ケアを重視した患者ケアへのアプローチ」(JAMA.1997;278:1687-1692)と言えます。具体的には、現状の医療システムでは欠けている「継続」「連携」「包括」などを備えた医療提供システムといえるでしょう。1990年代に入り米国では急速にマネジド・ケアが台頭し1994年頃に疾病管理の概念が提唱され、優れた臨床診断への志向、効果的な処方、継続的なケア、適正な臨床評価、医療費抑制などを促進する可能性を持つものと期待されています。
米国で疾病管理の概念が生まれてきた背景には、いくつかの差し迫った理由がありました。第一に、「医療の管理」主義・思想の台頭があると思われます。マネジド・ケア(Managed care)は、登場以来既存のあらゆる医療システムに多くの影響を与えてきました。巧みな手法によって診療行為、医療費、患者アウトカムなどほとんどすべて場面で「管理」化が進められました。医療に「マネジメント(本来はやりくりするという意味)」という考え方が浸透し、このことが疾病管理の生みの親になったと言えます。第二に、人口構造や疾病構造の変化も背景のひとつです。高齢者が増加し、疾病も急性期疾患から慢性期疾患にシフトする構造的変化において、継続的で質を維持し包括的に医療ケアを提供する必要性に迫られました。慢性疾患に患う患者の健康アウトカムがより重視され、保険会社(HMO)の顧客である患者の満足度やQOLは医療提供において不可欠な項目になり、継続性のある質の高いケア(CQI)を達成しなければならなくなりました。

<2.伝統的アプローチとの違い>
では、疾病管理は具体的にはどのような内容をもつものでしょうか。疾病管理アプローチと現在実施されている伝統的アプローチを比較してみましょう(図1)。伝統的アプローチでは、イベントのみの対応です。単純な例でいえば、喘息発作の患者が来院すれば(診療時間外の夜間が多いのですが)、呼吸苦を取るための治療をおこない症状が取れれば、それで済ませます。しかし、再度深夜にあるいは翌日に同一の患者が喘息発作で再来する、といったことが現場では繰り返し行われています。あるいは糖尿病患者の何割かは病識がなく継続した治療から抜け落ち、失明・透析・下肢切断という転帰に至ることが少なくありません。一方、疾病管理アプローチでは、一旦登録してもらうと境界型糖尿病患者の予防から本格的な治療まで継続した治療を実施し、眼科医・臨床管理栄養士・運動療法士などの組織または多職種の連携した共同的・包括的ケアをおこないます。定期的に専門看護師が電話相談や訪問看護をします。病状が軽い人には教育パンフレットを送り、重い人には集中的に予防的介入がなされます。伝統的アプローチの治療方法は、医療の標準化がまだ浸透していない現状では、習慣的であり恣意的に陥りがちです。たとえば、出身大学や初期研修を受けた病院の治療方法(ex. 何々大学方式)や習慣的におこなっている治療パターンに従って治療します。しかし、疾病管理ではガイドラインをわかりやす形で一般医師に提供し、客観的でEBMに基づく治療をおこなうことを促します。

<3.実際のプログラム>
ここでは、患者側から見た糖尿病の疾病管理プログラムを、実際に米国で実施されているプログラムに従って、具体的な内容を見ていきましょう。図に示すように(1)HMOは、自らの保険会社の加入者のうち糖尿病患者の支払請求書や病院からの連絡などから糖尿病患者を特定する。(2)次に、特定された患者に糖尿病の疾病管理プログラム参加の有無の確認と糖尿病の重症度分類を独自のスコアに基づいて行う。(3)プログラム参加の同意が得られたら、軽症・中等症・重症に患者をトリアージし、それぞれのクラスに対応したプログラムの介入をする。(4)プログラムの特徴は、徹底した患者教育、三ヶ月毎の電話医療、臨機応変の訪問看護などの継続した集中的な介入である。
プログラムの成功例として、米国で実施されて糖尿病の疾病管理プログラムの中で、科学的に臨床効果と医療費が分析され専門雑誌に掲載された事例を紹介しましょう(J Clin Endocrinol Metab 1998 Aug;83(8):2635-42)。約7,000人の糖尿病患者を対象にし、包括的な糖尿病疾病管理プログラムが介入した結果、月当り患者当り44ドル(10.9%)費用が削減され、入院患者は年当り1000人糖尿病患者当りで18%減少し、入院日数も21%短くなりました。また107日間の短期間であるが平均して患者のHbA1Cが8.9%から8.5%へ減少しました。

<4.日本の現状>
日本の現状では、こうした連携したケアや効率的な医療提供システムがおこなわれているのでしょうか。円グラフは、一般住民が市町村の基本健診を受診した後にどのように行動したかを調査した結果です(報告書「老人保健に関する新たな包括的健康管理システムの研究」平成12年3月 日本公衆衛生協会)。健診後糖尿病や高血糖により医療機関を受診した患者(n=425)を対象に、「あなたは、病院や専門医(眼科医など)の紹介を受けたことがありますか」という質問をしたところ、「ない」という回答が41.4%、という驚くべき結果でした。糖尿病患者の深刻な合併症である糖尿病網膜症に対する検査のための紹介がされていない割合が、なんと半数近くもあったのです。これは、日本の医療において、患者数が多く医療費負担が莫大な糖尿病治療で、いかに現状では「連携した医療」がなされていないか、そのために患者アウトカムが低下し、医療費が膨らむかを如実に示している結果と言えましょう。

<おわりに>
日本の現行の医療制度は優れた点が多々ありますが、制度疲労を起こしていることは間違いないでしょう。公的な医療提供システムを維持しながら、生じている欠陥や弊害を早急に是正しなければならず、民間セクターを組み入れて運営がうまく行くならば躊躇せず試みるべきと思われます。疾病管理は、その有力な選択肢のひとつと考えられます。最近、新聞紙上で言われている、単純な「株式会社化」では、けっしてうまく行きません。
わが国は高齢社会の到来を迎え、医療を取り巻く環境はより厳しい状況に陥っています。予防から診療、緩和に至る医療システム全体に及ぶ抜本的な改革を、真剣に検討する必要があります。21世紀になった今こそ、疾病管理的なアプローチが日本の医療システムに応用した形で採り入れられ、効率の良い医療システムの構築の一端を担ってくれることを期待しています。
 

図1.伝統的アプローチと疾病管理アプローチの比較

 

図2.プログラム・アルゴリズム

 
 

円グラフ:病院や専門医(眼科医など)への紹介の有無 n=425

 


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