松倉教授の退官の挨拶(平成14年3月)


 私は昭和60年(1985年)2月1日に宮崎医科大学第三内科(内科学第三講座)に着任し、17年余の在任後、平成14年(2002年)3月31日で定年退職します。従いまして内科学第三講座教授候補者の公募が平成14年3月31日締切りで既に始まっており、本年4月以降、本学選考委員会および医学科会議での慎重な審議により本年度内に宮崎医科大学第三内科の第3代目の教授が決まる予定です。

 私は昭和36年3月に京都大学医学部を卒業後、京都大学医学部第二内科に入局し、故三宅 儀教授、井村裕夫教授(京都大学名誉教授、科学技術会議)のご指導をうけ内分泌・代謝学、特に視床下部−下垂体−副腎皮質系の疾患を中心に診療、教育、研究に携わりました。

  一方、宮崎医科大学第三内科は昭和52年4月初代の荒木淑郎教授(現熊本大学名誉教授)のもとで神経内科学および内分泌学を中心に担当する診療科として開講しましたが、荒木教授が昭和57年4月に母校の熊本大学第一内科教授に転出されました。ご縁があり、私が約3年の教授不在期間を経て昭和60年2月に京都大学附属病院病態栄養部(現病態代謝栄養学)助教授から着任いたしました。着任後数年間は宮崎医科大学第三内科がこれ迄担当していた内分泌学、神経内科学の分野を継続しましたが、やがて宮崎医科大学には呼吸器内科を専門にする医師が一人も居ないこと、また宮崎県内にも呼吸器内科の専門医が極めて少ないことが分かりました。

  臨床内科学の領域で患者さんが多く、診療、従って教育にどうしても欠かせない部門は消化器内科学、循環器内科学と呼吸器内科学です。私はこれを内科学のご三家とよんでいます。

  今後は高齢化社会になればなる程、肺炎、間質性肺炎あるいは肺癌に罹患する方は益々多くなります。そこで私は宮崎医科大学の学生および研修医の教育のためにも、宮崎県の医療の充実とレベルアップのためにも宮崎医科大学で呼吸器内科学部門をたちあげ、診療、教育ができるようにしようと決意しました。そこで宮崎医科大学第二外科故古賀保範教授に長崎大学第二内科 原 耕平教授(現長崎大学名誉教授)にご紹介頂き、原教授のご配慮で平成2年4月に長崎大学第二内科助手道津安正先生が着任され、宮崎医科大学に呼吸器内科学部門が初めてできました。従いまして、現在宮崎医科大学第三内科は糖尿病を含む内分泌・代謝学、神経内科学および呼吸器内科学を診療、教育、研究の3本柱としております。ただ呼吸器内科は患者さんは数も多く、当科病棟(50床)の半分位を呼吸器内科の患者さんが占め、残り半分を内分泌・代謝と神経内科の患者さんで2分しています。

  既に配布されております私の後任教授の公募案内にも神経内科、内分泌内科または呼吸器内科のいずれかを専門とする医師とかかれておりますので、これらの3部門の中から学識、診療経験および人格的にも優れた教授が決まり、今後ともこれらの3部門をバランス良く統括し、医療や教育の面ではさらに充実し、研究面では国際的レベルの実績があがる教室になって欲しいと念願しております。

 ただ最近、宮崎医科大学では宮崎県出身の学生の入学が極端に少なく、卒業生で宮崎医科大学附属病院に残る者が大幅に減っています。若い医師の継続的な参加がなければ医科大学での診療、教育および研究の発展と充実は不可能です。患者さんの診療に情熱を燃やし、向上心を持ち、感性が豊かで、同僚やコウメディカルの方々とも協調でき、相手の立場から考えることもできるキャパシティの広い本学および他大学卒業生の私共内科への参加を大いに期待しております。